『劇場版 ポールプリンセス‼』~ステージと、物語 その両輪に関して~
それは今年最後の怪物、伏兵、あるいはダークホース。2023年の年の瀬はポールダンスで決まり。
というわけで、こないだ適当に観に行った『劇場版 ポールプリンセス‼』が、実際異様に見応えのあるコンテンツでたまげたので、以下はその話。お付き合い頂ければ幸い。
『ポールプリンセス!!』。エイベックス・ピクチャーズとタツノコプロによる、ポールダンスを題材とした完全新作オリジナルアニメーション。エイベックスとタツノコが組んで、その上あの乙部善弘がCGディレクターをやると聞けば、やはり思い出すのはプリティーシリーズであろう。実際この企画自体、たまたまポールダンスの映像観て魅力に囚われた乙部氏が『KING OF PRISM』のショーにポールダンス取り入れたのをきっかけに、ポールダンスのアニメをやろうと話を持って行ったのが始まりとのこと。
そうした経緯もあり、プリティシリーズ等女児向けアイドルアニメウォッチャーの中でも「なんかあの辺で完全新作の3DCGものやるらしい」くらいの情報は回っていた筈で、おれも2022年時点で認識はしていてDiscordにリンクも貼った覚えがある。
2022年より、YouTubeでショートアニメ(1話6分くらい✕7話)が公開されたり、登場キャラクターによるポールダンスショームービーが出たりと企画自体は進んでいたが、ついに今年の11月23日から劇場版が公開された形。しかしながら、実際WEBの展開が行われていた時点では、おれはコンテンツとしてそれを追っていたわけでは全くなく、今回の劇場版が近所で演っているのを見て「そういえば」と足を運んだ程度の距離感であった。
前置きはここまでにして、実際観てきた結果としては先述の通り。
このアニメは、間違いなく、面白い。
ポールダンスというニッチなジャンルを主軸に、60分という限られた尺の中で、挫折と再起というありがちなテーマを、題材と上手く調和させつつシンプルながらも奥行きたっぷりに描写しきった傑作劇場アニメーションだ。
何よりもまず、目玉であるポールダンスのステージの出来が異様なまでに良く、周到に作り込まれており、常に観客に新鮮なサプライズを提供している。ポールダンスの魅力を世間に発信することを出発点に作られたアニメとしては、まさに完璧な成果と言えよう。とにかくこの「ポールダンス」が完全に主役であり、コンテンツが依って立つ軸、ポールそのものなのだ。「ポールダンスって凄いんだ」という作り手のメッセージがしっかりと映像に乗っており、「ポールダンスって凄いんだ」と、客もしっかりと惹かれる、そうした理想的な流れが仕上がっている。
ポールダンスを主軸に起きつつ、それを彩る物語は非常にシンプルな筋書きで、決して主題を邪魔することはない。限られた尺で話を成立させるため、ある種の”テンプレ”の上を思い切りなぞることで観客の理解を早めつつ、しかしそれでただの薄っぺらい上滑りした話にはしていないという脅威的なバランス感覚。極々最小限のセリフで人物に奥行きを出しつつ絶妙な勘所は見事に突いており、その圧縮手法には舌を巻くばかり。
総じて、今年の締めくくりにふさわしいと心から言える、非常に満足度の高いコンテンツであったと思う。以下、このコンテンツの強みに関し、より詳細に触れていく。
一目瞭然、どう見ても凄い
この映画は上映スクリーンこそ多くないが、熱烈なリピーターを一定数生み出している。その一番の理由は、間違いなくポールダンスパートの出来が異常に良かったことだろう。そこに心奪われた人間が大勢いるのだ。実際”ここ”が駄目だったなら、光るものはありつつ凡百なアイドルものもどきとして終わっていたことは想像に難くない。
百聞は一見に如かずという感じで、公式もその点重々承知しているので、公式Xアカウントには劇場版のステージ映像の切り抜き(15秒)がアップされている。一番最初に上げられたのが↑の「Just the two of us」の映像なのが実に、分かっている。実際劇場版のステージ映像は全編どれも凄いことやってるのだが、短い尺でその”凄さ”が一発で伝わる映像といえばまずここだと思うので。
それと、極めて重要な事実として、ポールプリンセスのステージ映像は基本全編、モーションキャプチャーで作られている。つまり、この動きを実際に演っている人間が、間違いなく基底現実に実在する。
公式がアニメとモーキャプの比較映像を上げており、
上の動画のサムネがまさに先程の切り抜きのシーンとなっている。
これはポールダンスという、実在のダンスの魅力を発信するという試みとも見事に噛み合っている。過剰な嘘を、ついていないのだ。正直言って何やったらそうなるのか最早意味不明なポールを中心にした動きの数々。しかし観客は無邪気に、映像として「スゲ~~」となる以上に、実際にこの動きができる人間が確かに居るという事実に対し、リスペクトせざるを得なくなる。これ、本当に人間に”できる”動きなんだよな……。慣れ親しんだ隣の畑である女児向けアイドルアニメは割と気軽に羽生やして空飛んだりするが、このアニメのステージはそれよりもリアリティラインが高めで、より地に足が着いていて常に重力が1.0G働いている。少なくとも素人目にはそう見えるように作られている。地に足の着いたステージ映像をやっているからこそ、実際どう見ても空飛んでるか浮いてるようにしか見えない演技の数々が、確かな”重み”を持ってくる。スクリーン上の、まるで宙に浮いているように演技するこの女も、間違いなく、今重力に逆らってあの身体を支えているのだ。そういう意識が常に生じる。
そして裏にモーキャプした人間が居るという事実があってこそ、それを作中で涼しい顔してやっているキャラクターに対しても改めて「スゲェ……」とリスペクトが生まれるのである。キャラクターの演っているパフォーマンスに対し、本当に心の底から「凄い」と震える視聴体験、これは味わってみると相当にハマる。無論ここに優劣を付けるつもりはないが、アイドルものとはまた違った格別の味わいが存在する。この技をやれているこの女はもう本当にめちゃくちゃ凄いし、それを可能にするのにどれだけ努力したのかとか、そういうことまで考えると、グッとステージに想いが乗り、応援したくなる。それこそが、この作品のライブ映像が持つ中毒性の、構成要素の一つなのではないかとおれは考える。
なお上ではモーションそのものについて述べたが、一方でタツノコの3DCG班も実際意味わからんことをやっているということに触れておく。先の「Just the two of us」の映像なんかがわかりやすいが、こんだけポールの周りをぐるぐる回り、挙げ句の果てには二人で絡んだりするステージ演技。それはすなわち、常にキャラの3DCGモデルが他のオブジェクトと接触しまくることを意味する。そしてポールプリンセスのライブ映像では、衣装の布が、キャラクターの手足は無論、他のオブジェクトと全く干渉しないのである。意味がわからん。まさに職人芸。はためく布が、一切ポールを貫通しない。少なくとも我々の目に見える範囲では、1コマ単位で布をしっかりと逃してある。とんでもない作業量である。特にダブルスの演技、あるいは御子白ユカリのあのマントをはためかせた演技については劇場版の製作規模でしか成し得なかったのではないかと思う。ここに純粋に、3DCGライブ映像としての見応えがある。総じて、1700円出す価値のある、リッチで貴重な映像なのだ。
基本の型で、技を魅せる
ポールプリンセスはポールダンスの映像が凄い。それは間違いない。
しかし。しかしながら。劇場版ポールプリンセスの話をする上でポールダンスの話に終始するのもそれはそれで片手落ちだと考える。後半のライブパート”以外のところ”、これも間違いなくポールプリンセスがうまくやっている部分なのだ。同時に、初見の人間には通じにくい部分でもあるため、他人にポールプリンセスを勧める場合には、この辺の話は省くべきである。そして当記事の要旨は別に”布教”に非ず、以下は普通にその話をする。
そもそも予習なしの完全初見の人間からしたら、よく知らない女と女が喧嘩して割とすぐに仲直りし、地方予選始まったと思ったら次のカットでもう終わってるしで、ライブ始まるまでは結構危うい作りだとも感じている。途中で席立ちにくい劇場ならではの手法ではないだろうか。
ポールプリンセスというコンテンツは先述の通り、先立ってYouTubeでの展開がある。そして早い話、ここでアイドルアニメでもお馴染みの仲間集めパート(+初ステージ)なんかを既にやってしまっているのだ(なお1話あたり6分とか7分なのでこれもめちゃくちゃ圧縮している)。言ってしまえば、女児向けアイドルアニメの1クール目でやる話をだいたい計1時間に凝縮した後の、2クール目に来るライバルチームとの初邂逅をこれまた1時間でやるのが今回の劇場版。上述の通りライブパートはこのアニメの華であるため、その部分の時間を除いた残りの短時間で話をまとめ、そしてライブをピークとした物語をやらなければならない。
まずポールプリンセスは、そこに成功していると言ってよい。それ自体、褒められるべき話だ。過去の挫折に向き合い、それを乗り越えるためにステージに立ち、克服する。それをチーム4人から2人、異なる軸でそれぞれの克己を描いているのもよい。
そんなアクロバットを可能にしているのは、ひとえにテンプレートの力であろう。この物語のプロット自体は非常に、非常によくあるものであり、悪い言い方をすれば手垢が付いているとすら言ってよい。しかし故にこそ、観客の余計なストレスを与えず、既に知った”型”でもって物語が進むので、スッと入ってくる。「ああ、こういう話ね」という納得は、こうした完全新規のコンテンツでこそ力を発揮する。変に考えることがないのである。
昔新体操で難度の高い技を失敗、大怪我して志半ばに引退した。そのせいでポールダンスでも難度の高い技に踏み切ることが出来なかったが、仲間に支えられそのトラウマを克服する。あるいは一つの失敗をきっかけにバレエを辞めてしまった過去を持ちながら、やはり仲間の応援でもってポールダンスを恐れずに続けそのトラウマを克服する。実にベタ。
ありがちな話をやることで前提等の共有を最低限にして話運びを圧縮する、しばしば見られる手法だが、うまくやるには技量が要る。そしてポールプリンセスはうまくやっている。だからすごい。
……というのは、しかしながら実のところ、大変に雑な説明である。ポールダンスという主題を立てるための最低限なドラマをやれていてすごい、というのはポールプリンセスのストーリー部分の本質を捉えてはいない。確かにプロットはベタベタで、起伏も最低限だ。それはそう思う。しかし、基本となるプロットがベタベタのベタであろうと、実際に物語を紡ぎ出す人間に厚みがあり、プロットに沿った実際の脚本、それを立たせる演出がちゃんとしていれば、それはちゃんと「面白いアニメ」たりうる。ただポールダンスの部分だけが「凄いアニメ」ではない。繰り返すが、ポールプリンセスは間違いなく、面白い。
ただ主題のライブパートを立たせるだけなら、書き割り看板のように薄っぺらくただそこにある、テンプレをなぞっただけの女を置いて、適当にありがちな青春をやらせればよい。それでも十分、ライブに見応えがあるのでいい感じの作品にはなっただろう。だが、これは、そうではない。そうではないと、おれは思うのだ。
ポールと絡み合う生のドラマ ~東坂ミオを中心に
この作品には、しっかりと人間が生きている。どういうことか、キャラクター一人一人に触れていくと一万字あっても足らんので例を挙げるのみにするが、象徴となるのがこの映画における東坂ミオの扱い。
主人公たちのチーム「ギャラクシープリンセス」の4人中、ミオだけは今回明確な”文脈”を背負ってはいない。トラウマに向き合うスバル。それとペアを組み手を取り合うリリア。そして主人公としてライバルと向き合うヒナノ。その上ミオにも強い文脈を持ってきてライブに引っ張るには尺が足りない。それはそうだろう。
しかし。その上で、この映画はミオもちゃんと、立てていた。明確なストーリーライン自体はなかったが、それでもミオの物語は、確かにあったのだ。
映画の中盤。夜にスタジオで残って針と糸を持ち、一人衣装の手直しを行うミオと帰り際のヒナノの会話。この短い会話シーンこそ、おれはこの映画における白眉だと思っている。この映画の必要十分に切り詰めた台詞回しと、それによって生じる人間の厚みを象徴しているようだ。
この何気ない、「こんな楽しいこと、誰にもやらせてあげません」というたったの、たったの一言。しかしここに東坂ミオという人間の、その背景が完全に詰まっている!先に台詞があってキャラができるのではなく、まずキャラクターという一人の人間がREALに生き、そいつが喋る言葉こそが台詞となるのだと、そう感じざるを得ないこの言葉。まさに生きた人間から生まれた台詞だ。
東坂ミオは本当に、心の底から、コスプレやってるときからずっと衣装を作るのが大好きで、そんな彼女が生まれて初めて他人のために、オリジナルの衣装を作っている。もっと背中のリボンを伸ばした方が、ヒナノのダンスによく映えるだろうと、自分のアイデアで衣装の手直しを行っている。コスプレのための表現力を磨くという理由でポールダンスを始めたミオが、自身の表現でもって仲間に、チームに貢献しようとしている。誰にでも敬語で話す、一見控えめなその在り方を”そういうキャラ”と自称し、実際は根本に確固たる自我があり、何よりも自己表現のために「ギャラクシープリンセス」をやっているその我の強さ。彼女の根っこは表現者であり、そこにはポールのように一本芯が通っている。そんな彼女が、あのとき「手伝おうか」と言われたって、それは100回言われても100回「誰にもやらせてあげません」と返すに決まっている。この端的な台詞が、何よりも東坂ミオを象徴している。間違いなく東坂ミオから生まれた言葉なのだ。
その後の衣装お披露目シーンで彼女がしれっと(本当に数カットしかない)指に絆創膏を何枚も巻いている描写も良く、話としては一切誰もそこに触れないのも含めて嫌味がない。ただそこに、確かな物語がある。
そしてその物語の山場たる東坂ミオのライブシーン。ステージに立つ彼女を見て、サイリウムを持った女の子が「マーメイドみたい!」と感嘆の声を上げる。それを見るミオ。「私は、マーメイド!」というモノローグ。これだけの描写。これだけで十分なのだ。人魚姫をモチーフに自分でデザインし、作り上げた衣装を身にまとい、人魚のようなダンスを演じる東坂ミオ。そこには「なりきる」という、コスプレの本懐がある。衣装に心奪われた少女は、あるいはかつてのミオそのものだったのかもしれない、とかそういう背景すら感じてしまう(あの女の子がツインテなのも心憎い)。
今回のミオのポールダンスが一人、脚の動きが派手でないのもキャラが立っていて、それは人魚をモチーフにした演技であるためだ。人魚姫をモチーフにしつつ、ダンスの中身はむしろ、人から人魚への変身を示している。演技の途中で長いスカートのボタンを留めて、ポールの下では開脚を見せていた脚の可動域を完全に制限した上で、人間の脚を持たない人魚になりきる。この”変身”が、ボタンの付け外しという衣装自体のギミックによってもたらされるところも構造として美しいの一言。間違いなく彼女の、彼女自身による表現だ(サナ姫も一目置くレベル。間違いなく彼女自身が、一撃を入れたのだ)。総じて、今回の東坂ミオの演技はド派手な技を決めてうわ凄え、というよりは、ポールの周りをまるで泳いでいるかのような、ストーリー仕立ての表現力でもってダンスを魅せるキャラなのだと、ライブパートが雄弁に示している。面白い。面白い作りですよ。
最初に示した通りこのアニメのライブは凄い。そして、それはただ単体で凄いだけでなく、しっかりと、作劇上のキャラクターの物語ともしっかりと噛み合い、更なるキャラクターの魅力を引き出している。それぞれのキャラが生きており、それぞれがそれぞれのライブを表現している。ライブ付きコンテンツとしては、まさに理想の在り方と言えよう。
両輪が噛み合ってこそ、ドリヴンする
以上、『劇場版 ポールプリンセス‼』を構成する、ポールダンスと物語という両輪について触れていった。ありきたりな物語を、奥行きのあるキャラがごく自然な台詞で回していき、そのピークには3DCGアニメーション表現の一種の到達点とでもいうべき極上のライブパートが控えている。ライブステージそれ自体が、彼女らの背負う文脈、人間としての在り方を象徴し、そこに物語が結実する。この僅か60分の物語には、ポールダンスを軸としたドラマが整然と詰め込まれており一切の無駄がない。美しい、美しすぎる、コンテンツとして。ポールプリンセス、最高~~!
2023/12/23現在、公開5週目に突入した今、ポールプリンセスを上映している劇場は選ばれし都会の5シアターのみとなり、なかなか気軽に観てほしい、とは言いにくい状況となってきた。しかしながら、単発の劇場版でここまで「やれる」ことを示したコンテンツがこれで終わるのは忍びなく、故に劇場版のメディア展開などが決定した暁には是非今作を観てほしいと願うばかり。真摯で、一生懸命な、美しい少女スポーツものが好きなオタクにオススメだ。「ポールダンスだけ」の映画では、決してない。両輪あっての、素晴らしさである。
おまけコーナー1:最初にYouTube版を観るべきか問題について
劇場版初見の人間は先行したYouTubeでの物語を観るべきかという問題。
結論から言うと、観なくてよい。
ポールプリンセスは先述の通り、仲間集めパートをYouTube版で終えており、間違いなく劇場版へと続いている話である。それ故、先にこっちを観ておかないと話が分からないのではないか、ノリきれないのではないか、という不安があったり、あるいはオタクとして前作観てないのに続き物を観るのはありえないという立場の人間もいよう。
というかおれが本来完全に後者の方のオタクである。ガールズ&パンツァー劇場版が流行ってたときも、おれは内心歯噛みしながら「いやTV版観てねえと各校のライバル達がひと肌脱ぎに集まってきたところとか全く感情が乗ってこねえだろうが……劇場版から観ても平気は違うだろ……」と耐えていたし、トップガン:マーベリックも絶対にトップガン無印から観ねえとグースとマーベリックの関係性あってのルースターの物語だろうがと常々思っている(他人に強制はしない)。そんなおれが繋がるけど観なくていいよと言っている重みを、分かってほしい。分かってくれ。
今作は劇場版であるからこそリッチな画になっているが、YouTube版はなんというか不安になるような画がとにかく多い。ポールプリンセスというコンテンツの全てを完膚なきまでに愛しているというような人間には大変申し訳ないのだが、特にパイロット版とでも言うべきEp.00なんかは正直言うと非常に危ういレベルだと思う。アイカツ!無印第1話観て、神崎美月がなんか針金みたいで不安になるとかそういうレベルではなく、画そのものにヤバさがある。というか3DCGモデルはよくできているんだが。
とにかくコンテに味がしないというのが何より大きい。カメラワークに一切技巧がなく、ヒナノとリリアが二人で会話しているシーンはとにかく喋ってる二人の周りをカメラがゆーっくり回るのみ。一応アニメ観てるんだから少しはおもろい画を観たい。百歩譲って、プラネタリウムに客が来ねえっていう話をその真ん中でやるんだったら、せめてその客入りの実態は強調してもよかったと思うのだが、なんか中途半端にモブが居るのもコンフリクトを起こしている気がする。
観なくてよい、と言った。観なくてもよい、とは言わなかった。その選び方に何かを見て頂ければ幸い。実際一番やばいのはEp.00であり、ここからちゃんと良くなってはいくのだが……。
言いそびれたが、YouTube版は全編3DCGモデルで進行し、作画のパートは存在しない。そのせいかキャラクターの芝居(声優による声のお芝居の話ではなく、動きの話である)も妙な感じで、浮いている。舞台演劇、というよりかはどっちかというとニチアサのスーパー戦隊の面々が変身後の状態で喋ってるみたいな、過剰に誇張された身振り手振りで芝居をやっているのが観ていて少し苦しい。
で、かくいうおれはと言うと、上で述べた通り前提ちゃんと観ろ派閥のオタクであったため、チケットを既に予約購入している状態の中、劇場版観る前にYouTube版を全部観た。観たのだ。しかし、これは既に劇場版を観ることが確定していた状態だったからであり、仮に万が一、チケットとか買う前に家で適当にYouTube版観て”視察”を行っていた場合劇場版まで辿り着いていなかった可能性がそこそこある。それは大変に、不幸なことであろう。
先にYouTube版観た上で臨んだこのおれが断言するが、YouTube版を観ないまま劇場版に行ったところで、それによって損なわれる視聴体験は全体の数%にも満たない。劇場版冒頭の振り返りパートが、YouTube版のエッセンスのほとんど全てを汲み上げている。最初に全部説明されるので全く問題がない、というやつだ。そもそも仲間との出会いが6分とかの中で行われた圧縮されたものなので、ダイジェストで紹介されようがそこまで情報量を損なわないのである。
もちろん、キャラクター同士の会話等、劇場版観てキャラクター理解が深まった後から追う分には価値あるものも多く、実際公式からの供給が限られているからこそ劇場版の次に行く分には全然問題ない。劇場版観たあとで、存分にYouTube版でポールプリンセスのエッセンスを補給しよう。
おまけコーナー2:ミクロ的・散文ポルプリ語り
上では作品全体の感想として、敢えて情報量を落として(あれでも落としている)マクロに語ったが、実際全く語り足りないのでここで一気に細かい話を、一切の秩序なく、推敲もせずにやっていく。どちらかというと既に劇場版を観て、細かなナマの感想を共有したい人間向け。
・ヒナノの演技について
女児向けアイドルアニメは羽が生えて飛びがちだが、ポルプリでも翼が映えるとは恐れ入った。翼とは羽ばたき、空に向かって飛び立つためのもの。高みを目指して頑張るアイドルアニメで羽が生えるのはそうした比喩が乗っており、実際道理なのだが、このアニメはポールダンスのアニメである。ワイヤーで釣られて飛んだりはせず、実際ヒナノがポールを離すことはない。しかし、ポールダンスのアニメだからこそできる飛翔の演出というものがある。曲が佳境に入ってヒナノの背に翼が生えてからは、ヒナノは一度も地面に降りない。ずっとポールを握って、宙を舞っているのだ。そこに「ずっとこうしていたい」というモノローグが入り、心底楽しそうに演技するヒナノのポールダンスは最後まで息をつくことなく続いていく。まさに完璧な演出。パフォーマンスとしてはやはり、ユカリよりも難易度は低いものだが、しかし間違いなくポールプリンセスという物語の主人公として、輝きを放っていたダンスだったと心から思う。
・ポールダンスと疑似的アイドルものの親和性
上で書いてて思ったが、そもそもポールダンスとアイドルもの的な、パフォーマンスで観客を魅了して高みを目指したる的な物語は非常に親和性が高いと思う。
ときに、アイドルもので極めて高い頻度で登場するモチーフ、それは星空。1:星は輝きを放っている。2:星は無数に存在し、それぞれの輝きを持つ。3:星は、手の届かぬ高いところにある。以上の要素から、ステージで輝き、しのぎを削りながら、遥か高みの頂点を目指すアイドルものとは比喩のモチーフとして極めて相性がよい。見上げて、目指す。これが分かりやすい。最早わざわざ例を挙げずとも、星に関する話をしているアイドルものはあちこちに存在している。
ポールプリンセスも完全にその文脈に乗っており、主人公のばあちゃんがプラネタリウム経営してるところから始まってはやたらと星空が出てくる。主人公の名字に星の字があるのも完全にそれ。で、その星北ヒナノがプラネタリウムでライブするにあたって初めて世に出た1曲目。それが「Wish upon a polestar」なのが、非常に上手い。ポールスター、北極星とポールをかけたシンプルな言葉遊び、しかし、面白いじゃないですか。
ポールとは上に向かって登るモチーフであるからして、ダンスの中でポールを上がっていくその動きそのものが、高い高い星を目指して少しずつ上っていくことに重なるんだなぁ……。
それと、リリアとスバルのダブルスに顕著だが、ポールとは掴むものでもあるために、「手にして離さない」という話ができるのも嬉しいポイント。強く握りしめるという動き、ポールダンスにおいては本当に自然と出すことができる。
・エルダンジュの挑戦について
そういえばエルダンジュが例のエルダンジュサロン(公称)の巨大モニターで共有していた、「今度の大会で挑戦する技」についてだが、あれはポールから手離して落下して途中で止まる動きだったりしたのかと勝手に思っている。ユカリもノアも印象的に使っていた覚えがあるので。仮にそうだとすると、ヒナノも一瞬落下して止まる動きをやっていたのでなんというか、少し迫っている感じがあって良いなと感じた次第。
・エルダンジュサロンについて
というかエルダンジュサロンって何???あの出入り口があれで両側自動スライドドアなのもおもろいし、ノア殿が入室してきたときにかなり重い駆動音が鳴り響いたのもめちゃくちゃおもろかった。入ってきたのがノア殿だったのもあって、襖がターン!と開いたみたいな画になってたのが良かった。なんなんだあのドア。
……と思ったがドアはともかく、このサロンに三人揃ってるとなんかパッと見悪役トリオみたいな絵面になるのが良いのかもしれないと書きながら思う。適当になんかカフェとかで駄弁ってたら無敵のヴァルキューレ感は出ないのかも。ユカリ様中心にキャプ画切り出したらかなり悪役度高いのではないだろうか。
・いやハンバーガー食ってるじゃないですか!について
トンチキといえば唐突に思い出したから触れるんですけど「最後のハンバーガー」以降、一回だけバーガーショップのシーンあったけどミオのトレーの上に思いっきりバーガー乗ってて目を疑った。あれはどう解釈すべきなんですかね……?
作画ミスと片付けるのが現実的な気がしないでもないが、しかしミスと切って捨てるには微妙なところがあるのが妙に面白い。ちょうどリリアのトレーがスバルに隠れて見えてなかったのも絶妙。リリアもバーガー食ってたら間違いなくミスだろこれ!と言えたのだが。逆にそう言いきれないところからして、おれは東坂ミオになんか肝の太そうなところを感じているのかもしれない。自分からこれからはスムージーにするって言っといてしれっと一人だけバーガー食ってるのって勝新太郎の会見みたいで面白いな……
直ってたら二度笑えておいしいので早く円盤の発売を決定するように。
・静岡について
今思い出したんだけど地区予選の区分け、どう見ても静岡県が完全に分断されてたんですがあれは何なんです……?ポルプリ人類史では冷戦下に東西陣営が東静岡と西静岡に分かれていた可能性がある。
・蒼唯ノア殿という女について
60分の割にキャラに奥行きあるって言って褒めたが、蒼唯ノア殿に関してはなんかキャラの厚みがあるって言うよりは一人だけなんか海原の底が全然見えないみたいな恐怖を感じる。”深み”そのものすぎて上では全く触れることが叶わなかった。真剣な考察を要求されている。セリフ量が必要最小限であるために、断片的な描写と公式からの情報から何らかを”嗅ぎ取る”他ないのだが、明らかになんかデッカイ話が裏設定として隠れている気がしてならない。というかキャラクターの言動からの情報量と比べてライブ映像からの情報量が釣り合っていないんだけど!?
いや知らん知らん知らんみたいな話しか書いてなくて凄い。何?八方美人の自分に葛藤しているみたいな話全然知らないんだけど???
なんか公式が存在しないTV版ポールプリンセスの話をするので混乱するのだが、しかしなんか明らかにTV版ポールプリンセスでノア殿回を2話とか3話かけてやりましたよね?と言わんばかりにライブに文脈(知らない)を乗せてくるので意味がわからない。
モノトーンの、色彩の失われた世界が色づいていくんだけど、最終的に桜が全部真っ白になるそのライブ演出。歌詞も含めて、なんか日舞の家元に生まれた”葛藤”の中で御子白ユカリに人生を塗りつぶされたことがなんとなく考察できそう。持ってる扇子の柄も示唆的だ。難解すぎないっすか。なんで難解かって言ったらひとえにTV版ポールプリンセス(およびノア殿回)が存在しないせいなんだが……
しかしその難解さは無慈悲にも劇場版で更にスケールアップする。「剣爛業火」のライブ、ノア殿の変身5段階くらいあって笑うんだけど。仮面を捨てるところは分かるし着物を半分焼き捨てるのも分かるんだけど、なんか持ち前のオッドアイが両目共真っ赤になり、かと思ったら最終的に片目が青のオッドアイに戻るのが難解過ぎて困る。一人、一人だけあんた一体何やってんだ。それは最早TV版ポールプリンセス二年目のライブ演出でしか許されない情報量だよ。「誰もまだ踏み締めてない道 進むよ」とか、「私でなければ 私にはなれない」とか、明らかに前曲を念頭に置いたアンサーとなる気の利いたフレーズが多くて凄い。凄いのだが。葛藤を乗り越えてなんかを決別してなりたい自分になろうとしているのは本当によく分かるんだが、その肝心の話をおれは全く観たことがないんだよね。後生だから観せてほしい。
しかし、なんか人生においてユカリに大きな影響を受けた(であろう)後に、完全に我が道を歩もうとしている(であろう)ところにはノア殿の確固たる強さを感じるね(推定)。ユカリの後ろを歩こうとは、決してしていない。「ソロは久しぶり」という台詞からは、普段はユカリとダブルス組んでるのが伝わるのだが、今回そういう既存のイメージを破壊した表現をやろうというユカリ様の発案を受けて演るステージがあれだったの、ユカリ様も大満足だったのではないだろうか。劇場版で、ギャラクシープリンセスと対比させるため「足を引っ張らないように」と言ったのが、普通はいかにもそういう役を任されそうなサナ姫ではなくノア殿だったところに、なんらかの奥行きを感じている。
・サナ姫について
上でちょっと漏れたけどサナ姫は本当に良いキャラクターだと思う。Youtubeに上がってるソロのライブが実に、良い。努力家という設定だが、誰よりも真摯にポールダンスに向き合い努力を続けるユカリ様を差し置いてそうした設定が言語化されているのは何故か?それはやはり、観客に自分を魅せるための努力を怠らないということなのだろう。ユカリ様のライブはとにかくパフォーマンスの力で観客を魅了する、明らかな天才パワータイプ。しかしサナ姫は自分をどう魅せて、客をどう引っ張るかというところをユカリ様以上にしっかり考えてライブを演っているように見える。完全に計算されたテクニック型だ。
サイリウムの使い方にプリティーシリーズの年季を感じる演出。
そういえば、完全に客の方を向き、客に完璧な自分を魅せるという自己表現を象徴するサナ姫のライブに憧れるのが、自身の内面から湧き上がるものを客にぶつける自己表現をやっているミオなのってかなり良くないですか。同じ表現者であり、そして自己表現の在り方が違う。(セルフ)プロデューサーとアーティスト。TV版ポールプリンセス冬シーズンあたりで一回直接対決してほしい。
・ノアサナについて
てかノア殿とサナ姫がかなり仲良さそうなの超ええやんけ。実際ここは作り手がかなり気を遣っているところな気がする。ユカリ様が君臨し、幼馴染のノア殿とユカリに心酔するサナ姫、という1+2のユニットにならないような苦心が伺える。ノアとサナ、間に会話が少なかったら不仲説すら出そうな立ち位置である。だからこそ二人はタメ口でカジュアルに話すし、ステージが終わったら良かったよ~!って声かけるし、それぞれがそれぞれに仲良しで信頼しあってる3人のチームであるということが重点されているのだ。エルダンジュ、エルダンジュなんだよな~
・回転するヒナノについて
ヒナノの演技に関するところで触れそこねた。推敲なしなのでこういうことが起こる。ヒナノが舞台袖にユカリを見つけ一瞬身体が強ばるシーン、ポールダンスが回転を伴うことを上手く作劇に使っていてよかった。回転することで下手にユカリを見つけるが、しかし回転が続く中で、今度は上手に仲間の声援を見ることができる。そしてトラウマを克服したヒナノは、一周して次にユカリに顔を向けるときには笑顔を示すことができるのだ。
ところですぐ回復したからいいけど強そうな人があの眼光で初出場の選手をガン見してデバフかけるの普通によくないとおもった。
・釘宮理恵について
てかYoutubeのときからそうなんだけど、釘宮理恵で一回ビビるのポルプリあるあるな気がする。釘宮理恵!?
・うんちくについて
うんちくおよび雑学の収集が趣味なので、本とか読んでて「へ~」という感じの話があると嬉しいし、メジャーではない競技やお仕事もの作品で、その界隈特有の豆知識が出てくると得した気分になってよい。何の話かというと、「ポールギャラクシー」の話。面白い呼称だと思うし、上述の星をモチーフにした話をやる上でも偶然めちゃくちゃハマっていて、作り手がこれ見つけたときはガッツポーズしたのではないだろうか?
・苺ミルクティーについて
コラボカフェ(存在しない)で出るやつ。夜のミオとヒナノの会話の最後、ミオがヒナノに所望した飲み物は苺ミルクティーであったが、これはプロフィールによればヒナノの好物である。本当に細かな話なのだが、練習終わりにヒナノが飲んでいるのを見てミオも……的なやり取りが過去にあり、二人で飲んだりしていたのではないかというような、そういうちょっとした背景を想像させるよい会話だったと思う。
・柱について
リリアとスバルの仲直り。二人はブランコの柱を背景に挟み、上手にリリア、下手にスバルが立ち会話を行う。こういう、柱とか手すりなんかを背景とか手前に挟んで会話をさせることで隔たりを暗示する演出手法は極めてベタで、全部のアニメがやっている。しかしポルプリが、外さなかったな~と思うのが上のワンカット。柱の直上で、拳を突き合わせている。ここの構図は、トラウマから一歩踏み出せないスバルが、リリアというパートナーを信頼し、ダブルスとして難度の高い技に挑むことを決意するシーン。一見、リリアがスバルを引っ張り上げるような形にも見えるため、スバルの隔たりをリリアが破り、リリアの拳が下手側に突き出してくるようなカットが来てもおかしくはなかったと思う。しかし全国大会の二人のダブルス直前の会話からも明らかな通り(リリアはわざわざ言い直している)、この二人の関係性は「私がいるから大丈夫」ではなく、あくまで「二人一緒だから大丈夫」なのであって、どっちかが一方的に凹んでたり不安で踏み出せていないときだって、あくまで二人で手を握って支え合おうという話をやっている。だから、これでないといけない。
・小道具/背景美術について
2回目の鑑賞で気付いたが、小道具と背景美術がなかなかいい仕事をしている。アニメの設定資料集とか買うタイプのオタクならみんな知っているが、当然カバンや筆箱、あるいは立ち寄った喫茶店の机の上、冷蔵庫の中などキャラクターに関わるオブジェクトの数々は、ちゃんとそれぞれ「設定」が行われ、明確な意図でもって描かれるものである。
ポルプリがその点特に冴えていたのが焼肉屋のシーン。極めて情報量が多く、これは鑑賞1周目では拾いきれなかった。肉がちゃんと焼き上がる前から一人タレを手元に準備しているリリア。お手拭きを綺麗に折りたたんで置いているスバル。また、地区予選のことが気になって食事に意識が行っていないのか一人だけ箸が袋から出ていないのも芸コマ。ミオのお手拭きも見どころがあり、くしゃくしゃと丸めているというよりは折り紙のように何かを折って机の上に置いてあるような気がする。キャラクターがな、生きておるんじゃ…………。
・パンフについて
これを書いているところでポールプリンセスの上映はついに第5週に突入。梅田の劇場はポルプリ上映続けた上にグッズの再入荷までしてくれた。おかげで2回目の鑑賞およびパンフを買うことが出来た。で、このパンフレットなのだが非常に有用な情報が多数載っておりポルプリのオタク必読みたいな感じになっている。何らかの事後通販的な施策が必要なのではないかと考える。以下軽くパンフの情報に関して。
↑↑↑↑↑!!!!
書いてよ~~~~~~~~
ここが凄いんだよなぁ……と思っていたところがやはり完全に作り手の意図するところでめちゃくちゃ周到に作られていたと知ったときの、この喜ばしい感覚。おれの完敗です。貴方がたの目論見は完全にハマり、意図した通り完璧に心奪われました。
笑う。クラスの星北さんに誘われて休日プラネタリウムになんかショー?を観に行ったら星北さんが中央であれ踊ってるの見せられて何らかのなんかを破壊される男子学生の幻視は幻視ではなかったらしい。キャラデザがそうなんだったら絶対に実在する筈だ。
草
解釈一致!!!!!!
・Thanks Bookについて
Thanks Book。第4週入場者特典。それは公式の薄い本。というか本当に薄い。全6pだし文字載ってるのは4p。しかしポルプリに置いては貴重な供給に他ならない。見どころはエルダンジュサイドのサナ姫。一人でユカリ様をヨイショしてノア殿にツッコミ入れてSNSチェックして話題進行をやっている。過労死する!!!!
・他いろいろ
とりあえず思いついただけ書いたが、SNSとか見てたら他にもなんか思い出すかもだしトピックがあれば追記も吝かではない。ここまでオタクとしての脳味噌を稼働させたのは実際久しぶりで、ごくごく限られた情報からエッセンスを吸い上げてアニメのことを考えるという行為は久々にやってもやはり面白い。水が少ないほどトマトが甘くなる的な話だ(?????)(芯食ってない喩えはアズミ先生リスペクト)。そしてそれはポールプリンセスがそれだけ考えて、練られて作られているコンテンツだということに他ならないし、そんな作品に出会えたことを喜ばしく思う。以上。ポルプリ絶対に流行らせろ。