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不安障害のこと


今日は私の不安障害について書きたいと思う。 
もともと生まれた時から不安が強い性格気質だったと思う。しかしそれが病的な物として現れたのは小学5年生の転校がきっかけだった。

転入した学校はイジメのあるクラスで私はクラスに全く馴染めなかった。学校を休むという選択肢なんて無くてどうにか馴染まないとずっと頑張っていた。

今思えば、過剰適応を起こしてたと思う。

良く考えるのはあの時もし転校しなかったら、もし違う選択肢をとれていたら私はどんな人間だっただろうかということ。

転校前と転校後では全然違う人間になってしまったし、私の中の何かが壊れてしまった。ホルモンのバランスの変わる多感な時期だった事も大きな影響があると思う。

色々書きたいが今回は不安障害のことについて簡潔に書きたいので、細かな部分に関しては飛ばすことにする。

私は34歳に至る今日まで色んな不安障害を抱えてきた。

加害恐怖

最初に現れた不安障害は「謝らなけば気が済まない」
だった。学校で起こった小さな自分の失敗、相手が気にして居ないようなほんの些細な事、例えば爪が当たってしまったかも知れない、そんな事を物凄く気にした。

酷い時には相手に電話をかけてまで謝らなければ気が済まなかった。そうしなければ一日が終えられなくて、とにかく自責の念に駆られないように自分を粛清して過ごした。

罪の意識に怯えて、その増大した不安を解消するため異常な行動を起こしていた。自分でも変だと思ってた。

いつも大きな不安に怯えた、ゲン担ぎみたいなものもよくしていた。例えば廊下の端と端を必ず手でタッチして歩けば私は安全だというような儀式行為。

今日が良い日なら明日は悪い日だ、今日午前中良い事があれば午後は悪い事が起こるだろう、そんな事も良く考え振り回された。

神経性頻尿

そして私の不安障害の中で1番私を悩ませたのは神経性頻尿だった。今でも閉じ込められた空間にいるとそうなると思う。とにかくトイレが無い場所は不安で仕方がないのだ。

学生時代は授業中トイレに立つのが恥ずかしかった。だからトイレに行きたくなったらどうしよう?と不安になった。不安は不安を呼び、私の中で1時間耐えられなかった。授業が45分あればトイレ休憩に必ず行く。

でも、朝のホームルームから一時限目が終わるまでは休憩が無い。そんな日はとてつもなく不安だった。

毎日予定通りに事が進めば良い、だけどその日その時の都合で急に予定が変わりそうな日や予定が分からないイベント事は本当に恐怖だった。

私は私のような人間を子ども時代知らなかった。きっと母も家族も知らなかった。だから話しても理解されなかった。

一緒に行った旅行で、私があまりにおかしな行動をとるので、トイレが無くてパニックになってウロウロしている姿を見て、母は言ってる事を理解したようだった。

私は子どもの頃、自分はおかしな人間だとずっと思っていた。病名なんて知らなかった。こんな年齢にもなってトイレを気にするなんて頭がおかしい人間だとずっと考えて生きていた。友達にも恥ずかしくて言えなかった。

だからそれが強迫性障害だと分かった時に、世界には他にもそんな人がいるんだと安心した。

脇見恐怖症

神経性頻尿の次に辛かったのは、脇見恐怖症だ。これは主に高校生から大学生の時期になった。今でも隣に誰かが座るのは苦手だ。

黒板を見てるつもりでも視界に隣りの人が入ってくると気になってしまう。

そしてギクシャクしてしまって、ビクッとなったりする。自分が隣に座ることで相手に自分が意識している事がバレてしまって、不快な気持ちにさせるのでは無いかと怖くなる。不自然な動きをずっとしてしまって黒板や映画の画面を見る事が出来ない。

それ以外にも、給食を食べるのが苦手で人前で自分が牛乳をストローですする音が苦手だったり、上手く食べれなくて恥ずかしいと数えればキリがないくらい色々な不安があった。

大人になってから

大人になってからは、学校という固定された空間に縛り付けられる事が無いので強迫性障害はだいぶ楽になった。

今はもっと全般的な不安障害みたいな物を持っている。高校の頃に違う病気を発病した事も合わさって外出する事が苦手だ。

1人で外に出ると、体力が持つのか?とか些細な色んな事が不安になる。特に始めて行く場所でちゃんと振る舞えるのかとか、やり方が分かるのか?とかそういった事がいちいち不安で1人で行動する事がとても億劫だ。

頑張れば出来ない事も無いけど、私にとっては頑張らなければ出来ない事でとても疲れる。

車の免許も持ってるけど、同じ道しか走れない。私にとって初めての事は全て不安な事だ。だから良く母や夫に一緒に行って貰っている。

いい年して恥ずかしいなと思う。 

なんだか色々書き出してみたけど、締めの言葉が見つからない。私は本当に小さな世界で生きてるなと思うし自分の不甲斐なさに自己嫌悪になる事も多い。

でも私はもう子どもじゃなくて大人だ。あの狭くて逃げられない空間に居なくていい、家で自分の好きな仕事をして好きな友達と話して自由でとても気楽だ。

避けてる事もあるけど、本当に欲しい物があればきっと頑張って取りに行く。

大人になれなかったと思う日もあるけど、少なくとも子どもでは無い。それは私にとって本当に幸いな事なんだ。

だから大人になって良かったな。

自分が抑圧してる物についての自己分析や加害恐怖について掘り下げたいけど、今日はこの辺でおやすみなさい。



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