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類型界隈を後にして
私はXで1年半くらい類型界隈にいた。
その場所を類型界隈と呼ぶのか呼ばないのかは人それぞれだと思う。でも私は類型について知りたくて作ったアカウントだったので、類型界隈と呼ぶことにしてる。
そもそもの動機は、MBTIについて詳しく知りたい。体感として、このタイプはこんな感じっていう手応えを自分の中で掴みたいという気持ちだった。
だからなるべく色んな人と話そうと思った。普段は内向的でネットでもコメントとかあまりするタイプでも無いけど、いずれ出る場所だと思ってたのでガンガン攻めて情報を集めようと思っていた。
最初は誰も知り合いが居なくて、コメントも無視されてショックを受けたりしていたが、同じタイプの人ならFeがあるはずだから返信もしてくれそうと同じINFJからいこうと思った。
ただINFJはガードが堅かった。かなり硬い殻で覆われてて話しかけずらかったし、なんか気を使った。
そうこうしてるうちに、少しづつ話せる人や安心感を持って付き合える友人が出てきた。1人仲間が出来ると、なんだか大きな安心感を貰ったような気持ちがした。
私はもっと知りたいと思った。
人は文字の印象と声の印象はだいぶ異なる、話し方や声の印象の方がよりイメージを掴みやすい。だから声を聞きたいと思った。
その頃はiPadでXをしてたため、スペースの存在を知らなかった。それで、zoomで話しましょうみたいな事を書いたりもした。
ふだん積極性なんて全く無いのに、何をやってるんだろうな。zoomに誘ってても埒があかないと思って、LINEのオープンチャットを作って人を誘ってみたりもした。
そこで結構仲良くなった人たちも多かった!
その頃になってようやくスペースの存在を知り、よく使う端末もiPadからiPhoneへと変わっていった。
類型界隈にいると、MBTIだけでなくエニアグラムやソシオニクスの話も良く出てくる。それらと照らし合わせながら人の性格を考えるのは楽しい事だった。だがソシオニクスが難し過ぎて途中で挫折した。
ソシオニクスが難し過ぎて勉強する気がわかない事や会話についていけない事が地味にストレスだった。
あと予想以上に若い子達だらけで、特にスペースに入るとだんだん自分が浮いてるように感じて知らない人のスペースに参加するのが難しかった。
私はリスナーとしてただ聞いとくのってなんだか苦手で出来るならスピーカーで話したかった。
類型界隈はとてつも無く広い、MBTIがこんなに流行ってるなんて知らなかった。今では誰もかれもが知っていて、うちの母親なんかでさえ、人のFacebookを見てこれあんたが良く言ってるやつじゃない?って言って人の診断結果を見せてきたりする。
ただ印象としては明らかに学生から25才くらいの人が類型界隈には多かった。
正直な話、高校生のINFJの子と話すより、全然違うタイプでも30代の人と話す方が会話は成り立つし話が合うと思う。だって人間なんて人生のステージごとに悩みなんて違うじゃないか。
って事でなんかだんだん、なんか違うなぁと思い始めてきた。途中から。
類型というのはただのラベリングなので、人は十人十色なのは前提として当たり前。それでもそのラベリングの中から見える、共通項みたいな物を探してたんだと思う。
そしてそれは皆も同じだった。と思う。
言葉という物は不思議な物で、追いかければ追いかけるほどに真実から遠ざかる。
そして勝手に独り歩きを始める。
誰が言い出したかも分からないことに、リポストが飛び、さらにリポストが飛び、どんどん飛び火していく。
それを娯楽として楽しめるならいいけど、ラベリングされてきている人はそのラベリングと自分を重ねて、あたかも自分が批判されてるかのごとく受け取ってしまうこともある。
特にXという、目の前に人が居ない制限された文字数の中でなら尚更のこと。
そういうのがなんかずっとくだらなくて、自分と自分のラベリングにアイデンティティを重ねるという行為も。
むしろエニアグラムで自己内省する方が発展性ある気がする。
でもそんな事を言い出したら、もうそこでのやり取りそのものを楽しく無くさせるなとも思って。
そのアイデアの中に浸かり遊ぶから楽しいのであって、そんな事言ったら楽しんでる人からしたら「つまんな!」って感じだと思うんだよね。
「それは分かってるけど、そこでの人との出会いを楽しんでるんじゃん!」って1年前の私なら言ってた。
でもさ、なんか限界を感じたんだよね。自分にもその場所にも。そこに時間を使って居続けることって意味あるの?って。
それでなんかあんまり楽しく無くなって来て私の中の類型ブームが去ったころ違うとこで人とトラブった事もあって、Xから距離置こうって思ったんだ。
こうやって、批判めいた事書いちゃったけどXで出会えたご縁でnoteでも繋がれたり、たまに人と話したりする事もあるから、結局の所MBTIって良いよねって思ってるし、面白いから好きです。笑
やっぱり同じような心理機能を選択してると、共通項がある人に出会える確率も上がるわけで話が合う事も多かった!
でもそれは同じタイプだから、とかじゃなくてシンプルに気が合いそうだからとか、その人の事をもっと知りたいと思ったからなんだと思うんだ。
とりあえず結論として思ったことは、
①体感として類型の判定をする事は困難であること。
②同じタイプだからといって、ほとんど共通点は無いに等しいということ
全ては自分の認証する世界(自認)なので、その人なりの見方があり、それによって判定結果は変わる。
ハッキリさせたいなら定規であるMBTIの公式を受けるべきだし、公式を受けた所でただラベルが貼られるだけ。
私も自認公式ともにINFJだけど人から見たらISFPに見える事もあるらしい。
MBTIの定規はだいぶ大雑把な定規だったと思う。その中に括られている、病名とか障害とか生きづらさとか、そんなもっと適切な用語や言葉を知りたいなと思った。
INFJは良く生きづらくて嘆いているけど、そこには”INFJだから”では無い理由がいっぱいあって、それは人それぞれに全然違うんだなって思った。
INFJだからHSPだからで終わってしまっては、なんだか違う気がしてる。(これは自認自称している人を批判してるわけじゃ無くて、私はもっとより深い部分まで掘り進みたいよ!って話です)
より細かな定規や言葉や知識を学習する事が問題解決には大事だなと思った。
そんな事を色々考えながら、類型界隈を後にした。
ここまで明るくも無い文章を読んで下さってありがとう!