ばっさん

難聴児の母です。息子が人生で初めて会った聴覚障がい者で、右も左もわからない育児がスタート。息子との日々をまとめていこうと思っています。

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難聴者用の防災バンダナをつくりました

少し前ですが防災の日に、息子とさまざまなケースについて話し合い、ふと、こういうものがあればと思っていたのを思い出し、デザインしてみました。 筆記用具がなくても最低限のやりとりができる「難聴者用の防災バンダナ」です。 避難所生活になった場合、そして補聴器の電池が切れてしまったら、息子はやりとりが難しくなります。手話もできませんし、筆談も早くできるわけがなく…。 私がそばにいれば問題ないですが、通学中に震災にあったら、そうもいかない場合もあると思い、他者とのやりとりで最低限必

    • 難聴児育児アドバイザーAIを作りました

      こんにちは。 今日は、私がChatGPTで開発した難聴児の子育てについて相談できるAIについてお話ししたいと思います。 難聴児の子育ては相談しにくいものです。 子供が「聞こえていない」ことを理解してもらうのは難しく、同じ立場の保護者と繋がることも容易ではありません。私自身、息子の難聴が発覚した当初は、情報を求めて多くの場所を訪れましたが、同じ悩みを持つ方と出会うことは稀でした。 難聴児は聞こえないために指示が通りにくい場面も多く、何かと目が離せません。 そのため、人と相談

      • ベビーサインを使っていた話

        息子が生後9ヶ月の頃(難聴だとわかる前)から、我が家ではベビーサインを取り入れていました。 おむつ交換、着替え、お風呂、飲むか食べるか、もっといるか、おしまいにする、寝る、お願い、ありがとう、おいしい、挨拶、動物やお魚や乗り物など、日常に必要なやりとりはベビーサインとあわせて声かけしていました。 しかし息子からの自発はベビーサインより発語の方が先でしたし、1歳半健診時点でもベビーサインより発語の方が多く、あまり効果を感じていませんでした。 ただ、こちらからの呼びかけには

        • 絵画コンクールのススメ

          息子が年中の頃、自己肯定感を高める1つのきっかけとして、特別な成功体験をさせてあげたいと考えました。そこで、絵画や工作のコンクールでの入賞を目指すことにしました。私の経験から、息子と共に取り組んだコツやポイントをご紹介します。 これを選んだ理由は、上手い下手で評価されるものではないこと、幼児は応募数が小学生以上に比べれば少ないであろうこと、年に何回もチャンスがあること、文房具の名前やお絵描き中のオノマトペなどで声かけの幅も広がること、などがありました。 私はアーティストや

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        難聴者用の防災バンダナをつくりました

          幼稚園生活とコロナ禍

          幼稚園に合格し、入園まで5ヶ月。 入試までにクリアできなかった部分をクリアし、さらに園生活に必要な物の名前、生活の指示、自分の要求を伝える言語力は最低限身につけないとなりません。 しかしここで窮地に立たされました。コロナ禍になり、自粛生活を余儀なくされたのです。通常の外出はおろか、療育にも行けなくなりました。普段からワンオペでしたので、家の中で2人きりでやり込むしかありませんでした。 幼稚園は入園そのものが遅れ、6月半ばに始まりました。 ここで今まで全く予想していなかった

          幼稚園生活とコロナ禍

          幼稚園入試までの約半年間

          補聴開始したその日、音の反応の記録と声かけの台本を確認してもらいました。 台本には一文ごとに赤が入り、現時点で自分が思いつく内容程度では、とても足りないのだと、まざまざと思い知らされました。 そこからは毎週異なるテーマの台本を提出し、赤を入れてもらうのを繰り返し、少しずつですが赤入れの箇所が減り、声かけに含める言葉を増やすことができるようになっていきました。 息子の言葉は、補聴器してしばらくはすでにわかっている言葉しか言えませんでしたが、3週間ずつ補聴器のセッティングを

          幼稚園入試までの約半年間

          心が決まった日

          病院から紹介された療育先へ行った日のことは、正直あまり覚えていません。ただ、情報量が多すぎて、目まぐるしかったことだけは覚えています。 ■情報に飲まれた一日 予約時に、「長丁場になるだろうからお弁当を持ってきてください」と言われ、朝早くから準備して向かいました。お話をしてくださったのは、いかにもベテランそうな見た目の、ハキハキと喋る先生でした。 案内されたお部屋には、難聴児とその親御さんたちがワイワイと賑わい、レッスンを受けていました。先生からは、病院でいただいたオージ

          心が決まった日

          聞こえていない?走り回った2ヶ月間

          Google検索で「難聴児」と入力すると、候補に「子育て つらい」と出てきます。 私もまだ道半ばですが、難聴児の母親として5年、その間に感じた辛さや悩みは少なくありませんでした。しかし、息子と共に過ごす毎日は、私の人生で最も彩り豊かで、周りに自慢したくなるほど幸せな時間でもあります。 少しだけ、この世界に入った時のことを振り返ってみたいと思います。 ■気づきの遅れと葛藤 我が家の場合、新生児聴覚スクリーニングも10ヶ月検診も問題なくパスしていました。1歳を過ぎた頃から

          聞こえていない?走り回った2ヶ月間

          お気に入りの絵本紹介

          息子が特にお気に入りだった絵本をいくつかご紹介します。 何度も読み込んで、一緒に笑い、考え、話を広げて楽しみました。 どんどん大きくなっていく生き物、次は何がくるかな?と予想して大笑いしてました。 幼虫がどんな生活をしているのか、成虫になったら?と一緒に考える素晴らしいきっかけになりました。 行く先々で困難がふりかかるのですが、スパゲッティなのに!?と大笑い。なぜダメだったのかを話し合うのがとても楽しい絵本でした。 作戦を立てるまねきねこ達がかわいくて大好きな絵本です

          お気に入りの絵本紹介

          就学に向けて準備しておいてよかったこと

          難聴児の就学準備は本当に大変なものです。 息子の場合、準備に1年以上かかりましたが、振り返ってみると、やっておいて本当に良かったと思うことがたくさんあります。 ここでは、その中でも特に役立ったことをいくつかご紹介したいと思います。 ■勉強のこと ・ひらがなカタカナは書きまでを徹底的に教え込みました。特にカタカナにしかない音(イェ、ウィ、ウェ、シェ、チェ、ティ、ファ、フィ、フェ、フォ、ディ、ヴァ、ヴィ、ヴェ、ヴォあたり)には時間がかかったため、早くから取り入れてよかったです

          就学に向けて準備しておいてよかったこと

          セルフアドボカシーを育てる

          「セルフアドボカシー」という言葉を調べると、「自己権利擁護」「自分に必要なサポートを、自分で周りの人に説明して、理解してもらう活動」を指すと出てきます。 私は、これを小学生になるまでに以下のようなことができるようになればよいと考えました。 ・自分でどの程度聞こえていないかを伝えられる ・聞こえなかった時に相手にもう一度言ってもらうようお願いできる ・マイク(ロジャー)の使用交渉ができる ・自分で補聴器の管理(電池交換、乾燥機にかける)ができる これらを達成するために必要な

          セルフアドボカシーを育てる

          ロールモデルを求めて

          難聴が発覚した時、多くの本に「ロールモデルに会うのが良い」と書かれていました。 ロールモデルとは、子供が目指すべき人物や模範とする人のことです。 特に難聴の子供にとって、自分と同じような境遇で成功した人に出会うことは、希望や自信を持つ上で非常に重要だとされています。 しかし、現実は簡単ではありませんでした。難聴の男子はそもそも少なく、ロールモデルとなるべき人物に出会う機会がなかなかありませんでした。 さらに、新型コロナウイルスの影響で人と会う機会が減り、対面での交流はますま

          ロールモデルを求めて

          息子と読書、そして心に残っていること

          息子が絵本や図鑑に興味を持つようになった過程を振り返ると、そこには多くの苦労と喜びが交錯しています。 もともと息子は絵本が好きな子ではなく、療育先で読んでもらう絵本だけをかろうじて楽しむ程度でした。家で絵本を読もうとすると、なかなか興味を示してくれず、どうしたら絵本に興味を持ってもらえるのか悩む日々が続きました。 そんな中、幼稚園に通うようになってから、毎日紙芝居や読み聞かせをしてもらう機会が増えました。 先生方が工夫を凝らして読んでくれるお話に触れるうちに、少しずつ家で

          息子と読書、そして心に残っていること

          息子の成長と補聴の効果

          息子が難聴と診断されたのは2歳半の時でした。 それまでの息子の語彙は限られていましたが、コミュニケーションをとるために懸命に努力していました。 以下は、その時点で息子が使っていた語彙です: ばいばいどうぞはい(返事)だっこあっついとってこっちあっちいくおいしいかんぱいぱくぱく(鯉)ぽっぽ(鳥)ぱちゃぱちゃぴょんぴょんまー(いただきます)まー(ごちそうさま)いやたー(たっち)とんとん(ドアノック) ■補聴器装用後の成長 補聴器を装用し始めたのは、難聴が発覚してから間もなく

          息子の成長と補聴の効果

          自己紹介

          こんにちは。 私は中等度難聴を持つ小学2年生の息子を育てている母親です。私たちの息子が難聴であることがわかったのは、彼が2歳半になったときのことでした。それまでの間、言葉の発達が遅れていることに気づき、数々の病院や子育てサロンで相談してきましたが、「様子を見ましょう」「お母さん、焦らないで」と言われるばかりで、難聴の発覚が遅れてしまいました。 息子は言語以外の発達が順調であったため、私たちも見逃してしまった部分がありました。発覚後は、障害者手帳がないことや聴力が軽いという理