【推し、燃ゆ】私には推しが必要だった
推しが燃えた。
いや、正確に言うと、推しているグループのメンバーが燃えた。2回も。
1回目は私がまだそのグループ(仮にAと呼ぶ)を推してないとき。
週刊誌とかに報じられて、他のグループが好きだった私にも届くくらい話題になった記憶がある。
1回目の時のことは、Aを好きになってから、現場で仲良くなったヲタクの友達に詳しく教えてもらった。
その子は燃えた子を推しているから、よく知っていて、昔話を話すように教えてくれた。
2回目は直近。
私がAを好きになって一年位経った頃だった。
過去のことが今になって出てきた。
燃えた子は1回目と同じ子だった。
2回目の炎上があった時、終わったと思った。
燃えたのは推しではない。
でも、終わったと思った。
アイドルは基本、グループ売り。
大所帯のグループでない限り、グループのどこかが崩れれば、一気に崩落するかもしれない。
推しが危ない。
いまの活動を続けられなくなる。
推しがいなくなったら、私はどうすればいいの。
推しが仕事や人生、生活の危機だと言うのに、
考えるのは自分のことばっかりだ。
部屋が汚い
仕事ができない
探し物が見つからない
人としての生活能力が低い
必死に頑張って、食らいついて、
自分を奮い立たせて、でも限界だった。
生きづらい現実を生き抜くために、
私には推しが必要だった。
自分が見れなかった叶えられなかった夢を推しに託す。
推しが夢を叶えると、自分の夢も叶ったように感じる。
自分が推している人は世間から認められている、成功している、それが嬉しいし、推しの目を通して疑似体験している感覚があった。
気づいたら、それが自己肯定になっていった。
自分はダメじゃない感覚を推しがくれる。
私がどんなにダメでも、
推しがキラキラしていれば私は肯定される。
どんなに上司が私を怒鳴っても、どんなに罵倒されても、私はダメじゃない。
だって私が推してる人はすごい人なんだから。
推しは私で、私は推し。
そう思いながら、ポケットのなかにあるカッターナイフをいつも握っていた。
だからこそ推しが輝いてくれないと、
私は肯定されない。それがつらい。
「推し、燃ゆ」を読むと、そんな過去の自分のヲタクとして一番つらい時期を思い出す。
物語の最後、主人公が推しが人になったのを確認して、自分の気持ちに整理がつかず、物にあたる場面がある。
自分の生活面が上手くできず、
部屋も荒れて、物も見つからず、
洗濯もままならない状態だった主人公が自分が散らかした部屋の一部を片付け始める。
推ししか見てなかった主人公が、自分に目を向ける。
自分が生きてきた部屋を見て、
これは「自分の生きてきた結果」だと思う。
今までが推しというフィルターを通してでしか世界を見てこなかった主人公が、推しというフィルターを通さず世界を見る。
私はそんな場面なのだと思っている。
フィルターを外してみた結果が部屋を片付ける。
片付けるって、一人で住んでいる主人公にとって、人のためではなく、自分のためにする行為。
自分の周りの環境を整えて、
暮らしやすい生きやすい環境にする一歩目。
きっと主人公の生きやすさの始まり。
「綿棒をひろい終えても白く黴の生えたおにぎりをひろう必要があったし、空のコーラのペットボトルをひろう必要があったけど、その先に長い長い道のりが見える。」
一つのことを終えても生きやすいと思えるには、
まだまだ長い道のりが主人公にはある。
自分で自分を壊すことも、滅茶滅茶にすることもできた主人公が、その長い道のりを二足歩行ではないにしても、歩んでいく決心をしたことが、自分のことのように嬉しかった。
きっと主人公は、
推しを推していないと生きていけなかった。
推しを推していたから、生きてこれた。
こう私が思うのも、過去に推しを想いながらカッターナイフを握る自分がいたからなのかもしえない。
とは言っても、
この本を「おもしろいよ~~!」なんて私は言えないし、ぜひ読んでほしいとも思わない(特にドルヲタには)。
ただ、この本には、宇佐見さんの圧倒的な筆力と感情表現がある。それだけは確かなことだと思う。
本のインスタはこちら⇩
https://www.instagram.com/booklog_basan/
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