政子はなぜ義時を“××した”のか。「頼家の仇だから」とかミスリードしてない?4つのステージから考察【鎌倉殿の13人】
昨日、またNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』関連の動画をYoutubeで漁ってたら、たまたま2022年5月の岡田斗司夫さんの解説動画を見つけちゃったんですけど。
(※以下、ネタバレ注意)
「まさかだけど、感動しちゃってないよね??? ま、大衆向けドラマしか見ない人には、三谷作品の奥深さは理解できないね~。」
だなんてめちゃめちゃ煽るようなムカつくタイトル付いてましたけどw
内容はさすが岡田斗司夫さん。しっかりドラマの考察されてて、たぶんドラマを録画で1回だけ見てすぐ消しちゃうような方は勉強になる部分が多いのではと感じました。
そしてこの解説に則って、ひょっとしたら最終回の政子が義時を“殺す”シーンもいくつかのステージに分けて考察できるのではと思ったのですが。
(それも映像的には誅殺するとかではなく、「飲むべき薬を捨て、そのまま見殺しにする」ような展開だったので、あえて“殺す”とカッコ書きにしてます。そして記事タイトルが「“××した”」と伏字なっているのは、ポリコレではなくネタバレ防止のため……にちゃんとなってるかどうか不明ですがw)
ひょっとしたら、いまだにミスリードしている人もいるかも?ということで、野暮なこととは思いつつ、敢えて改めてあのラストシーンについて、4段階で解説していきたいと思います。
(※今回の記事のサムネイル写真は、2022年12月29日、鎌倉市内の『大河ドラマ館』にて筆者が撮影しました)
1stステージ:頼家の仇だから
まず、僕がFacebookで所属している『鎌倉殿』のファンページでも多かったのがこの意見。「やっぱり、自分の息子を殺したのが許せなかったんですね~」という意見ですが、正直言ってこれは完全にミスリードです。
たしかにあの場面、「待って……頼家がどうして入ってるの?」と驚く台詞がありました。義時も「やっべ、言っちゃいかんこと言ってしまった!」みたいな顔をしてましたし、言ったらきっと大変なことになるとわかってたから黙ってたところもあるでしょうけど。
しかし政子はそのあと、「駄目よ、嘘つきは、自分のついた嘘は覚えてないと」と諭してもいます。そして薬を取って欲しいと頼んだ義時に応じてもいますし、少なくともこれが政子が義時を“殺そう”とした理由でないことは明確です。
もちろん、「ぜんぜんなかった」とは言い切れませんけどね。現実問題、自分の子の仇だとわかったら、いくらそれが自分の弟でも、母親としては許せない気持ちがわいてくるのは当然です。ただ、それを言えば実衣だって息子・時元を自害に追い込まれていますし、実衣自身も「私を殺そうとしたでしょ」と47話で詰め寄っていました。けれどその時も政子は「過ぎたことは過ぎたこと」と、きょうだいを諭しています。
きっと、「頼家の仇だとわかった」それだけだったら、政子の殺意だって50%未満。「過ぎたことは過ぎたこと」と言い、何とか義時を“殺さず”に耐えていたような気がします。
2ndステージ:これ以上粛清させないために
流れが完全に変わったのは、「私にはまだやらねばならぬことがある」と、義時が次なる粛清を目論んだときでした。このとき、政子の殺意がガッと100%に跳ね上がったのを映像からも感じましたね。
血が流れるのは「承久の乱」まで。それが終わり、泰時をはじめとする新しい世代が動き出すのを見ながら、「もうこれ以上の粛清は必要無い」と政子も確信していたはず。なのにまだ粛清を続けようとする義時を見て、「弟は、生きている限り粛清を続けるだろう」と感じたのでしょう。
「もうこれ以上殺させない」というストッパーの役割を政子が担ったとも考えられますし、同時に、「もうこれ以上働かなくていいの、あなたの仕事は終わりです」という労いの気持ちでもあったように感じます。
「お疲れ様でした、小四郎」
そのセリフに、この感情が込められていましたね。
3rdステージ:自分がしでかしてきたことのけじめのため
そして3rdステージは、やはり政子自身にベクトルが向いていると思うのです。そもそも義時がここまで闇に堕ちなければならなかったのは、第26回で、伊豆に帰ろうとする義時を政子が引き留めたせい。
あのときは「あなた卑怯よ。わたくしにすべて押し付けて、自分だけ逃げるなんて」などと弟を咎めるようなセリフを言っていた政子でしたが、結局、第45回ですよね。義時から「姉上は今までなにをなされた?お答えになってください。闇を断つためにあなたは何をなされた!」とカウンターパンチを食らってしまったのでした。
結局、卑怯者だったのは政子自身だった。それに気づいて尼将軍になったりもしたんですが、それだけが政子の仕事ではありません。義時が父・時政を鎌倉から退けたように、今度は政子が義時を退けねば。それが鎌倉の闇を断つためであるなら、覚悟を決めねばと思ったハズなんですよ。
「13人目はあなたです」
これも第27回、頼家の宿老を決める際に政子が言った台詞でした。
言ってみれば、このリフレインですね。義時が、頼朝の亡き後で血を流して死んでいった13人の名前を挙げた。しかし政子から見てみれば、その中に頼家は入っていない。12人で止まっている。だから13人目、闇を断つために殺す最後の1人が、義時だった。そんなラストに思えてしまうのですよ。
4thステージ:「運慶がこしらえた化け物」から人間に戻すため
さらにもう1段回上のステージ。これも気づいた方はかなりドラマの見方を熟知している方だと思うのですが、このラストの姉弟のシーンに行く前に、政子が運慶がこしらえた像を見ていたという点ですね。
あれ、僕、本当怖くて。以前のレビューでも「邪神像」と表現していたんですけど。
あれを作った運慶も、完全に気が狂っていました。「おまえはもう、引き返すことはできん」などと呪いの言葉をのこしながらどこかへ連れていかれた運慶。その言葉までは政子も聞いていないハズですが、やはりあの邪神像を見た瞬間は「恐ろしい」という気持ちに駆られたのだと思います。
そうか、他人から見たら私の弟は、こんなに醜い姿に見えてしまっているのか。もう伊豆の片田舎で暮らしていたあの無邪気な少年は、そして妻を亡くした哀しみを背負いながらも必死で子育てを続けていた健気な青年は、もういないのかと。その哀しみに打ち震えたのではと思いました。
これこそ、「それは別に、義時を“殺す”理由とはズレないか?」とツッコミも入れられそうですけど。ただやはり、義時が次なる粛清を目論んだ瞬間、政子の脳裏にもあの邪神像の姿がフラッシュバックしたとは思うんですよね。
運慶は正しい。もう弟は、引き返せないところまできてしまっている。ならば姉である私が止めなければ。私がこの弟の目を覚まさせ、あの無邪気な少年に、健気な青年に、戻してあげねばという気持ちになったのではと感じます。
そして、もう助からないと悟った義時。彼が最期、息子・泰時に八重の面影を感じるといって微笑んだときに、政子は「でもね、もっと似ている人がいます。あなたよ」と言う。これ以上の感動があるだろうかと思います。あの瞬間、義時は本当の自分を取り戻しました。無邪気で、健気で、ただ真面目でまっすぐだった姿を。そう考えるとやはりあのシーンは、バッドエンドではなく、この上なく幸福な最期だったと思うのです。
オマケ:「承久の乱」を起こしたことについての後悔はあるのか?
最後にオマケ。やはりSNSを見ていると、「どうしたら『承久の乱』を防げたのか」みたいな声が多々あるんですね。みなさん、そんなに「承久の乱」を“北条家の失敗”、あるいは“日本の歴史の汚点”として見ているのでしょうか。
確かに、日本で初めて皇族が退けられた戦として大きな転換点ではありました。近代史でも第二次世界大戦後、マッカーサーでも退けられなかったものを退けてしまったわけですからね。
ただ、歴史にifは無いと思うのです。もしも「承久の乱」が起こらず、武士の世が確立されていなかったら、まず北条泰時は「御成敗式目」なんか作らなかったかもしれない。そして鎌倉中期に起こる「元寇」だって退けられなかったかもしれません。そうなると、日本はモンゴル軍に占領され、国が無くなっていたかもしれない。「そんなことあるか」と思われるかもしれませんが、絶対に無いとも言い切れず、やはり結論としては「歴史にifは無い」。起こったことがすべてだと言うしかないのです。
そして少なくとも、このドラマの中で「『承久の乱』さえ起こらなければ」みたいな後ろ向きなセリフは誰も口にしていません。もちろん皇族を退けた義時は「この世の怒りと呪いを全て抱えて、私は地獄へ持っていく」なんてセリフで自分の罪を述べていましたが、これも後悔と言うよりは覚悟のセリフですね。
だから、「どうせ弟を殺すなら、政子もあんな演説をせず、潔く義時の首を差し出しておけばよかったのに」なんてこのドラマを評価してしまう人は、まったくドラマの本質が見えていないド素人の意見ということで捨ておいてよいと思います。
って、最後の最後で人をディスるような意見を書くもんじゃないよねww
(要らんオマケだったな……)
締め【あるいは宣伝】
以上、楽しんでいただけましたでしょうか?筆者のnoteには、他にも『鎌倉殿の13人』ドラマレビューを展開しています。結構中途半端なところから始めて、抜けも多いんですけどね……
その他、2022年末に鎌倉に行ってきたレポートなんかもまとめていますので、ぜひ楽しんでいただけたら幸いです。