全成、愛ゆえの“覚醒”?義時は遂に完全闇堕ちか。第30回「全成の確率」見どころ振り返り!【鎌倉殿の13人】
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第30回の感想です。
前回の感想はこちら↓
(※以下、ネタバレ注意)
「誰も責めてはいけないよ」僧として、ただ清く美しくあった全成の人生
覚悟はしていました。29回のラストシーンから、「ああ、遂に今回は全成(新納慎也)の最期が描かれるのだろうなぁ」と。覚悟していた通りの展開にはなりましたが、まさかこれほどまで美しく、哀しいラストだとは。
頼朝の挙兵に際し、弟たちの誰よりも先に駆け付けた男。ただ、鎌倉において正直「役に立つ存在だったかどうか」と訊かれれば疑問はあります。神や仏、呪術の力が信じられていた時代ですから、呪(まじない)い・呪(のろ)い含め、様々な局面でその力を頼られたキャラではありました。
けれど、本当に頼られた通りの効力を発揮していたのか。29回では「あなた、見かけ倒しじゃない」とハッキリ妻・実衣(宮澤エマ)に言われ、夫婦共に笑い合っていたのも今となっては遠い昔の出来事のように思います。つい一週間前のハズなんですけど……。
また、『鎌倉殿の13人』という殺伐とした物語の中では、ギャグ担当として視聴者へ「癒し」を与えるような存在であったことは間違いありません。それなのに、第26回では頼朝の死に際して、時政(坂東彌十郎)&りく(宮沢りえ)の悪の結社コンビから次期・鎌倉殿に擁立されようとしたり。そして前回・今回と、呪詛によって頼家(金子大地)の命を狙うよう仕向けられたり。
彼の死期が近づくにつれ、段々と本人の本意ではないような部分もありながら、権力争いのいざこざに巻き込まれていったという印象を受けます。
それなのに、時政の依頼で呪詛を行ったことがバレた際には、血だらけで妻・実衣と再会した際の、「誰も責めてはいけないよ」「お前は赤がよく似合う」というセリフ。全成というキャラを象徴するかのようであまりに美しく、「こんなに心の澄んだ人だったのだな」ということを改めて思わせます。
全成、覚醒。愛する実衣を守るための力か、それとも?
命までは取られなかったものの、八田知家殿(市原隼人)が治める常陸国(ひたちのくに)に幽閉されることになった全成。現在の茨城県あたりとのことで、愛する実衣の元からはだいぶ離れてしまいました。一人寂しく藁(わら)でできた布団の上で寝ているシーンも一層悲壮感を漂わせていましたが……。
そこで今度は、比企能員(佐藤二朗)が全成に、頼家を呪うように依頼しにくるという恐ろしい展開が。しかも「実衣殿が危ない」などという巧妙な嘘を吐かれて。
この裏には、比企が頼家から「御家人の手本として、己が所領を分け与えよ」などという無理難題を突き付けられたことがあったのでした。これに従えば自分の所領は無くなる、突き放せば自分の身が危うくなる……ならばいっそ、頼家を呪ってやれ!という比企の思い切った策略です。
メタな見方をしてしまいますと、これ、脚本の作り方としてはうまいこと視聴者の時政へのヘイトを比企に移すことに成功したなと……。時政&りくのコンビなんかより、比企の方がよっぽど悪党だよ!みたいなイメージをバーンと与えることに成功していたように思います。
やがて、所領を収める八田殿にその呪詛がバレてしまい、処刑されることになる全成。処刑の場で彼が呪文を唱えると嵐が起き、首を切られる直前で雷が落ちて太刀筋がずれ、一度は命が助かります。その時に首筋から滴る血の赤を見て、全成が叫んだセリフが……「実衣ーっ」。
どれだけ視聴者を泣かしにかかるんですか。冷静に考えるとあまりにスペクタクルすぎて、「どのタイミングで力を覚醒させてるんだよ。能力者バトルものなら普通、ここで助かって復讐に行くところだろ……なのにお前、ここで死ぬの⁉」なんてツッコミさえ入れたくなりますけど。ドラマを見ている瞬間には、ただただ見入ってしまいましたね。
最期は、八田殿に「悪禅師」と囁かれて処刑された全成。この「悪」というのは「悪者」の意味ではなく、「荒々しい、猛々しい」の意味で、「史実の全成は、弁慶のように荒々しい僧だったのではないか」みたいに説明されているサイトもあります。
しかし、このドラマのラストシーンで「悪禅師」に新たな解釈が生まれたのも印象的でしたね。まさか「直前に激しい雷雨を起こした全成への感嘆」ですか。頼朝兄弟の最期の生き残りとして、そして人知を超えた力を持つ僧としての、見事な散り様でした。
「見かけ倒し」だと言われた全成がここまでの力を発揮できたのも、愛する実衣を思ってがゆえだという考察も、SNSでいくつも見ました。
もちろんその解釈も素敵なのですが、私の個人的な感想を書きます。あの嵐こそが全成の能力だったのか、それとも、ただの自然現象だったのか。ドラマを作ってる側からしたらもちろん前者と受け取れるような演出だったとは思いますが、「ただの自然現象だった」という解釈を取ったとしても、全成と実衣の愛の在り方は変わらないと思うんです。
なぜなら、今までコメディタッチで描かれていた全成の姿も、すべて実衣と、その周りの愛する人たちのために彼が全力で行ってきたことだと思うんですよね。
そして少なくとも実衣にとってみれば、全成に能力があるか・無いかは、どちらでも良かったように思えます。「私は信じていました。最後にやってくれましたね」と、笑いながら、ボロボロ涙を流す実衣。例えその最期が、今まで通り「嵐を起こすと言われたが何も起きない最期だった」でも、「やっぱりあの人は見かけ倒しでしたね」と笑いながら、ボロボロ涙を流していたと思うのです。
いずれにせよ、笑いがあるからこそ、最期のシーンがあまりに儚く切ないものになる。これこそ、三谷幸喜作品の真骨頂だと思います。
比企能員と頼家の決別。そして義時は闇堕ちへ……!
さて、少し話を戻しますが。そもそも頼家も、比企能員に向けて「所領を寄越せ」だとか、なんて無茶な命令を下すんだと思うんですけど。これも言ってみれば、ジェネレーションギャップだと思うんですよね。比企にとって所領とは、頼朝の時代に、戦によって獲得したもの。いわゆる「御恩と奉公」というやつですが、いわば「己が命と同価値のもの」でした。
頼家にはそれがわからない。何のために頼朝が行った「御恩と奉公」だったのか。「御家人ならば主人に忠義を尽くすのが当然。忠義があれば所領を差し出すのも簡単だろう」みたいな感覚でしょうか。「御恩があるからこその奉公」だったのに、これでは真逆です。これも頼朝がさっさと死んでしまい、政(まつりごと)の何たるかを頼家に教育できなかったせいでしょう。
ただ今回のラスト。義時(小栗旬)が能員を追い詰めたシーンでは、いよいよ「頼家には鎌倉殿の座から退いてもらい、その息子・一幡様を中心として比企の世を築いていく」という野望を露わにした能員。「遂に本性表しやがったな!」という感じではありますけど、当時の武将ならば誰もが夢見たことだと思うんですよ。だって、ライバルの北条時政だって、鎌倉を己がものにしたいのは同じじゃないですか。
むしろ、死んでいった梶原景時(中村獅童)殿や、主人公・義時のように、私心が無い武将の方が当時は珍しかったのではと思います。頼朝の時代には、彼らをうまく働かせて(あるいは、利用して?)、パワーバランスが取れていたところがありました。しかしその政治手腕を頼家に教える者は、もういない。
そしてこれが、ついに義時の「闇堕ち」へとつながったのかと思うと、感情がぐちゃぐちゃになりそうになります。ついに終盤のシーンで義時は叫びました。「遂にわかったのです……悪い根を断ち切る、この私が!」
能員、善児死をまさかの神回避!最後の最後も「全成の確率」ゆえか?
梶原殿から託された「置き土産」の善児(梶原善)まで使い、能員の逃げ場を塞ぐ義時。今回ほどお茶の間の皆さんが善児のことを応援した日もなかったでしょう。やれ、善児!いますぐ比企をやっちまえ!!
しかし比企能員、善児死をまさかの神回避。彼がぶちまけた陰謀を立ち聞きする手筈になっていた頼家が、まさかの不在。そこは、いるのがオヤクソクだろ!?能員には「詰めが甘い」などと言われ、まさかドラマの定石破りの展開かよと思いましたが……皆さん、思い出してください。
今回のサブタイトル、「全成の確率」でしたよね。全成の占いが当たる確率は半分。とくれば呪詛の結果も、相手を呪い殺すことはできないが、病にすることならできる、と。「何の効果もなかった」と安堵した前半パートの、その直後に一度、頼家は病に伏せっています。
そして終盤シーンも。「鎌倉殿がお倒れに!」と、義時の弟・時房(※元・時連、瀬戸康史)が報告しにきたのです。まさか全成が亡くなってから、「半分」の呪詛が発動するのかよ!そしてこれが、呪詛を依頼した比企に運が向いたんだと思えば……もう、比企への憎さ倍増です。
次回。比企は、そして比奈の命運は。「父上はどうかされております!」親子にも確執が?
さて、次回予告。この混乱に乗じて、次回は遂に比企能員が「鎌倉はこの比企が、芯となって動かす」と、また悪い顔をして宣言していました。傍らには、一幡様を抱いて。
それに対し、「比企を滅ぼす」と義時も臨戦態勢。鎧を着こんで遂に戦が始まる予感です。そのあとの「父上はどうかされております」と叫んだ泰時(坂口健太郎)や、「人は変わるもの」と呟いた比奈(堀田真由)の言葉の意味も気になるところです。
比奈はと言えば、今回の30回のラストで、義時と2人きりで語り合うシーンもありました。「話がある」「覚悟はできております」と、きっとその詳細も次回で語られるのでしょうが……どうなるんだよーっ、気になり過ぎて夜しか眠れません!
ともかく、次回はまた、涙・涙・涙の展開になりそうですね……。
ここにも注目!筆者が独断と偏見で選ぶ「見どころ」一挙振り返り
さてさて、最後に。筆者が独断と偏見で選ぶ「見どころ」ポイントを一挙に振り返っていきましょう。
・冒頭シーン。全成が呪詛で使った人形を見つけたのがサッカー(蹴鞠)コーチ・平知康(矢柴俊博)と、北条時連コンビだったのは意外でした。北条側の時連がいるなら、まだあの人形を誤魔化す術もあったのではと期待された視聴者もいらっしゃったかもしれませんが……残念ながら時連、今は頼家の近習というポジションなんですよね……。そして時連が、時房に名前を変えるという下りもそこで描かれます。この「時房」という名は、やはり頼家が与えたもの。思い出せば29回、近習から外された泰時も、その名は頼家から与えられたものでした。ただ「嫌がらせ」として与えられた「泰時」、「一番信用できる近習」として与えられた「時房」。同じ頼家から与えられた名とは言え、なんともアンビバレントな描かれ方です。
・実衣を頼家の元へ引き渡すよう、御所へやってきた近習。これを止めたのが、近習から外された泰時でした。「この先へは命に代えても通すわけにはございませぬ!」うわっ、出た!このシーンやったんや!ここで叔父と甥が臨戦態勢になりかけるなんて、一瞬ハラハラする展開になりますけど……その直後、政子(小池栄子)に呼ばれ、泰時の背後から助っ人が。仁田忠常(ティモンディ・高岸宏行)殿だぁーっ!しかも二刀流ってwwww「来るなら、こい!」これには「仁田ガンダム降臨」だとかネットも湧きました。
一方、泰時は仁田殿の背後に隠れて「……こい!」ですからね。おい、さっきの威勢はどうしたよ、台無しだよwwwwここもギャグシーンとしては秀逸でしたね……。
・政子と実衣の久々の対面シーンが描かれたのも、またほっこりしました。頼朝の跡継ぎ騒動の際に一度険悪になり、最初は気まずそうでしたが、尼姿の政子に実衣「それ、中、どうなってるの?」「尼削ぎよ」「蒸れない?」「誰も見てないところで、こうやって……(風を送る仕草)」この、何でもない会話が無茶苦茶良いんですよ……三谷イズムと言いますか。普通だったら「姉上あの時はナンタラカンタ」「いえいえこちらもナンタラカンタラ」となりそうなところですが、もう一々そういう面倒くさいシーンにはしないんですよね。というか、私、政子っててっきり、出家してから坊主になってるものだとばかり思ってました……一応、髪は短くしているけど、生えてるんですね。
そういえば史実では、源頼朝の一周忌、法華堂に政子が自らの髪で刺繍した「梵字の曼荼羅」が掲げられたそうなんですよね。
今の感覚からすれば「メンヘラ怖ぇ」となりそうですけど……まぁ考えてみれば、坊主になっていたらこんなものも作れなかったわけです。
いやぁ、勉強になるなぁ……。