何故働くのかを考えたイソジ。
「金のために働いたことがない。」
と書いてみたけど、それってとんでもない幸せなんだよなぁと改めて思う。
もちろん、ずっと働いてはきました。
けど、数年前に、一つ大きな「働く理由」を失ってしまったワタシ。
それは愛猫はなとだいを、続けて亡くしてしまったこと。
こう見えて双子の元野良。
たまたま家の駐車場で生まれたのを見つけたのがワタシが31の時。
二匹とも子供の頃から体が弱くて。
2歳の時にはなは「扁平上皮癌」と診断され、その当時かかっていた獣医からは安楽死も勧められるような状態でした。
絶望しながらもいろんな情報を集め、とある自然療法を実践されてる先生との出会いで治療を続け、なんとか奇跡的に2年後ガンを克服することが出来ました。
それでも、その後もずっとあっちこっち病気が見つかっては治療して。
だいもだいで、やっぱり体弱くて。ストラバイトっていう、尿に石が出来ちゃう病気が慢性化して。けっこうな頻度で膀胱炎になって、何度も血尿を出しては入退院を繰り返すような子でした。
正直ねぇ。
30代40代は、この子らのために働いてたと。間違いなくそう言い切れます。
2歳で安楽死まで宣言されたはなは、結局16歳まで生きてくれたんだけど、最後は末期の肝臓がんで2週間であの世に還り。
その半年も経たないうちに、だいが同じように肝臓がんになって1週間で花の元へ。
長いこと治療し続けてたのに、最期気付いてやれなかったことで、未だに後悔してる部分もあって。
だから一時、猫屋敷みたいに保護猫がわんさかいたこともあるんだけど、今後はもう無理だろなって今は思ってて。
けど。
はなやだいがいてくれたあの頃は、やっぱり人生で一番幸せだったなぁって思います。
誰かの、何かのためじゃないと、人って頑張り切れないんじゃないかなって。
ワタシは、どうしようもないいい加減な人間ではあるけど、少なくともあの子らだけは心の底から愛してたし、あの子らからも愛されてたって、唯一思わせてくれる存在で。
そうなのよね。
あの子らがいなくなって、誰かのためがなくなって。
この2年の間、目的もなく、
「稼がなきゃ。」
って、自分のことばっか考えてただけで働いてた気がする。
自分のため、ダンナとの老後のために、とにかく稼がなきゃって。
世の中の情報に流されて、なんか過剰にそう思い込んでたみたいだなって。
というかね。
五十も超えると、この問題に落ち込む人、多いんじゃないかな。
もう若くない。さりとて老人と言われるにはまだ早い。
やりたいことよりも、現実に向き合わなきゃいけないのかなって。なんかそんなことばっか考えて。
この数年。見えない未来にばかり焦点を当てて、今の自分のほんとの「したいこと」をちゃんと考えて来なかったことにようやく気付きました。
直接関係ないようでいて、やっぱりワタシのそういう不埒な考えが、長く続けられない環境へと導いたのかもなって。目的があいまいだから、不安定な現実がやってくるというね。そりゃ失敗するのは当たり前じゃんって。
「何のためにお金を得るのか。」
というか、自分として、
「何がしたいのか。何が幸せなのか。」
ということを疎かにしてきた結果がこうだったんだなって。
もともとワタシは自分のしたいことしか出来ないんだから。
イソジも過ぎたからって今さらそんなとこ変えられないじゃんねぇ。
という結論にようやく達したわけです。
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駆け足でこの数年の惨事を綴ってみました。
そんなワタクシですが。
おととい、面接に行きまして。
次の仕事が決まりました(笑)。
イエ~イ。
ま、そうは言ってもお金は必要だしね。ダンナの口車に乗っかって、いつまでも無職ってわけにはいきませんしね。
再来週から働く職場は「学生マンションの朝飯係」です。
また食堂かよ!、と言われるかもですが、ちょっと自分なりに考えたことがあってのことです。
そのお話はまた今度。。。。。