東日本大震災の日#1(韓国人の視点)
1.はじめに
どうもバルです。
今回も私のnoteをクリックして見に来ていただきありがとうございます。
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今回はおそらく読んでいる日本人のあなたの知らないお話をしようと思います。
それは何かというと日本にある在日コリアンの学校のお話です。
ちょっとまって、ここでページを戻さないでください。(笑)
そんな知りたくもないよ。と思う方が結構いらっしゃるかもしれません。
ですが本当にいい学校なので良かったら最後まで読んでください。
そんなに長く書くつもりはありません。
今回は私が6年生の頃に体験したお話を書こうと思います。
東日本大震災の頃のお話です。
2.東日本大震災 3.11のあの日
私は当時6年生で来年から中学生になるとウキウキしていました。
日本学校と同じで私達在日コリアンはただの普通の学生です。
違う点と言えば習う教科が日本学校より2、3個多いくらいです。
例えば日本学校では習わない朝鮮語、朝鮮歴史などがその部分になりますね。
なので私達は土曜日も学校に通ってたんですよ。
今考えるとめっちゃ嫌だったけど楽しかったな。(笑)
まあその話はまた今度noteで書こうと思うんですが、6年生の私は中学生になる準備を着々と進めていました。
私は宮城県の学校に通っていました。
全校生徒は少なく、小、中学生合わせて30人いたかどうか・・・。
経済状況も絶対によくなかったでしょう。
もはや愛と熱意だけで保っていた学校でした。
守りたいという気持ちだけで支えられている学校でした。
その50年近く歴史をもつ学校が3月11日に壊れました。
今でも学校は宮城にありますが昔の校舎はひびが入りもう人が入れるような状況じゃなかったです。
いきなり変な話をしますが、皆さんは物に魂などが宿るとは思いますか?
私はその時だけはそういう迷信のようなものがあると思いました。
校舎はもともともう古くなっていて危ないと言われ続けていました。
そんな校舎があの大きな東日本大震災の地震を耐えたのです。
私達の命を守ってくれました。
今はもういつ倒れてもおかしくなかったため震災から半年後にはもうその校舎は取り壊されてしまいました。
6年生の頃の私は特になにも感じませんでした。
ただただ怖かったとそう思うだけでした。
でも今考えると私の父が通った学校でもありましたし姉や兄が通った学校でもありました。
徐々に壊されていくその校舎の姿を見て卒業生達、先生達はどのような気持ちだったのでしょう・・・。
この続きはまた次回書きます。