ニュース番組が見てられない

五輪で感動をと情感たっぷりに謳った直後に、急に神妙なトーンで新型コロナの感染爆発を報じるニュース番組。もはや、お馴染みの光景と化してしまったわけだが、誰かがいったように不出来なパッチワークを見ているかのようで、なんとも気持ちが悪い。しかし、考えてみれば、10年以上も前から、こうなることは目に見えていたと思う。社会人にもなって「弄る」という漢字が読めないような人間が、平気な顔して記者を名乗り、公共の電波を使って、あやふやな日本語で書かれた原稿を垂れ流しているのだ。ろくに考えもしない人間の集合体がつくりだすモノというのは、かくも歪な仕上がりになって当然だ。こういう時はツイッターがこの世にあって心底良かったと思う。かつて報道の中心にあったNHKですら、政府広報になりさがり、平然と体制翼賛的な内容をダダ流しているからだ。我々の視聴料で、無批判にそれをやられてはたまったもんじゃない。NHKの報道が、第二次安倍政権、並びに今日の菅政権をここまで増長させたのは間違いない事実である。いずれにせよ事実だけを知りたいという場合、地上波よりも、ツイッターの方が都合が多いことすら最近は増えてきてしまった。それだけ地上波のニュースは信用ならないということだ。民放の場合は、報道のワイドショー化が主因だが、NHKの場合は、知性の劣化を容認し続けた結果なのだろうか。とりわけ顕著なのがニュースウォッチ9だ。かつて大越健介氏がキャスターだった時代は、各項目に対する“意義ある見識”が示されていた。それがどうだ、今では民放の真似事のような茶地な演出に、ポーズだけのコメントで終わってしまっている。叩かれようが、批判されようが、何かを報じるにあたり、己の見識を示すのは私は必要不可欠だと思っている。今はなぜかそれを局の人間がやらずに、外部から専門家とやらを招いて、その責任を押し付けているが、これは公平性うんぬんの話ではなく、単に責任の放棄でしかないように思う。要はアジェンダセッティングという報道に背負わされた最も重要な使命を、自己保身のために、擲っているのだ。ジャーナリズムとは名ばかりの自己愛に満ちたサラリーマン精神の成れの果て・・・素人記者やタレントキャスターのたわ言ならもう聞き飽きた。そんなものに時間を使うくらいなら、いま見るべきものはツイッターだ。テレビ報道よりもツイッター。これがテレビのリアルだ。

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