私が日比谷Barにいる理由2
<目次>
EP1 自信をくれたK先生
EP2 後悔の言葉🌸
EP3 日比谷Barとの出会い
EP4 私が描く未来は
EP2 後悔の言葉
そんな思いをもった、大学進学。
学校しか知らない先生にはなりたくない、いろんな価値観に触れた先生になりたい、と
ウェブマーケ、人材営業、採用、企画立案、さまざまなインターンを経験し、本当にたくさんの素敵な方と出会いました。
(ここで特にお世話になったU社、J社、A社さんには頭が上がりません。いつか詳しく書こうと思います)
経験していく中で、別に先生という職種じゃなくたって、
K先生みたいに人を勇気づけられる人にはなれるんじゃないか、と思うようになりました。
そんなこんなで忙しくしていた時、
祖父がステージ4のがんだということを聞かされました。
私より、背筋がしゃんとしていて、社交ダンスにゴルフに旅行、将棋と休みなく遊んでいて、
「おっす!あみちゃん!元気か!」
って私より元気だったおじいちゃん。
ステージ4(ラストステージ)ってどういうこと?嘘だよね?
何で言ってくれなかったの…?
いろんな気持ちの整理がつかないまま、病院嫌いだったおじいちゃんの意思を汲んで、
うちで自宅療養することになりました。
骨がちにやせ細り、チューブにつながれ、ほとんどをベッドの上でおじいちゃん。
そんな祖父の介護をしていたのが、母でした。
私の母は自分でいうのも何ですが、超のつくほど完璧主婦です。
寝坊もお弁当を欠かしたこともありません。おかげで私は寝坊で遅れたことがありません。(笑)
私の帰りが遅い日は必ず起きて待っている、
友だちを呼ぶときはトイレ掃除まで終わらせて、お茶菓子がないと呼ばせてくれない、
自分のことでは絶対泣かない、そんな母です。
祖父の介護の時も、なんら変わらず、あたりまえのように過ごしていました。
そんな時、母が、
「おじいちゃん、もう長くないかもしれないから、最後にみんな親戚集めてご飯しよっか」と言ったとき、
長くない、を受け入れたくない気持ちと、軽々しく最後っていうことへのいら立ちと、
母に負担がかかるのが目に見えていたので(絶対超準備するから)これ以上やらなくていいんじゃないかという気持ちで
「別にステージ4とはいえ回復するかもやし、そん時でええやん。おじいちゃんもしんどいやろし、今やってもお母さんの自己満足やん」
と言ってしまった。
そうしたら。
泣いたんです。母が。
いままで、自分のことで私に涙を見せなかった母が。
「そうだよ。自己満足だよ。悪い?
毎日頑張っても、だれも見てないし、おじいちゃんの容体がよくなるわけでもない。私に何ができるん?
一番近くにいるあんたに、私がおじいちゃんのことなんもも考えてへんみたいに言われとうなかったよ。」
このセリフを言わせてしまったとき、私は、なんて親不孝なんだろうと思いました。
身近なひとのいいところに気づくのか私のいいところやなかったん?
全然見えてなかった。
お母さんは完璧で当たり前なんかじゃないんだ。
どうして一言、疲れてない?大丈夫?いつも何も言わずやってくれてありがとうが言えなかったんだろう。
一番大切にしたい人、一番傷つけてるのは自分だった。
私はその時、自分という平凡なただの女子大生が、言葉で人を切ることが出来てしまうことを、知った。
言葉は時に人を大きく包み込み、
時にナイフとなる。
たとえそれは、一般人だったとしても。
K先生が私にくれたように。
私が母にしてしまったように。
K先生だって、別に本を出してるとか、有名大学に何人合格させたとかそんなことはない、普通の人だ。
それでも、私にとっては人生を変えてくれた、特別だった。
それからというもの、私は、自分の身近にいる人を大切にできる人が増えたら、もっと幸せな人が増えるんじゃないかと思うようになりました。
これをどうにかして伝えたい!
そんな時に偶然出会ったのが、初めて日比谷barでアルバイトをすることになった時の店長、Tさんでした。
この時は、これが私の運命を変える出会いだとは思っていませんでした。