久しぶりに小説を読んで、人に想いを伝えることの難しさについて考える
きっと、これを読んでいるあなたにも思い当たるふしがあるのではないだろうか。
よく言われることだけれど、自分の考えていること、思ったことを相手にちゃんと伝えることって難しい。
それは仕事の場でも、友人との間でも、長年一緒に過ごした家族に対しても。
子供に対しても。
てっきり、ちゃんと伝わっているだろうと思っていたことが、伝わっていなかった。
誤解が生じていて、のちのち、食い違いにより険悪になったり、喧嘩になったりする。
こっちは良かれと思って話したことが、相手を不快にさせていたなんてことも。
わたしもそんな経験、たんまりあります。
直接会って話をしたとしても伝わらないことが往々にしてある。
ましてや、メールやSNSのチャットだと温度感が伝わらずなおさら難しい。
ハードゲームです。
最近も、相手に自分の気持ち、考えていることを伝える難しさを、ガツンと体感したばかり。
優しい気持ちで伝えたメッセージが、逆に不快として相手に受けとられて唖然。
同じ日本人どうしで、日本語で伝えているのに、なんでだと。
だから、この本を読んだときに、
「あー、この木があれば、そんなことなくなる。心の中の想いがそのまま伝えることができる。不要な食い違いや、思い違いがなくなり争いがなくなる〜」
って思った。
この "木" があれば、もう天国へ旅立った、じーちゃんや、ばーちゃんが、わたしに対して思っていた気持ちなんかも知れるのかな。
そんなことも思いながら読んでいた。
ただ、この"木" にはポジティブな想いから、ネガティブな想いまで全てが含まれてしまう。
そうなると、なんだか怖くなる。
自分だったらこの"木"を使えるのかどうか。
そんなことを迷いながら考えている。
使わなくても気持ちが、相手に歪みなく伝えられたらいいんだけど。
コミュニケーションって難しい。ちょっとした言葉の選択がズレただけでも、ベクトルがずれてしまうから。
だいぶ久しぶりに小説を読んでみて、自分だったら、誰に、何を伝えようか。
そんなことを考えている。
読んだ本は、東野圭吾の
「クスノキの番人」
この本自体は、読み終えた後、ほっこり温かいきもちになりました。
読んだ方がいらしたら感想聞かせてください。