どんな子に育ってほしい?
仕事柄、発達障害と診断されたお子さんのご家族とお話をすることがあります。
多くは未就学児〜小学校くらいのお子さんのお母さん。
話しをしていて、気づくことがあります。
お母さんたちが「どうして、この子はわかってくれないんだろう?」と思っているということ。
それに「どうして(こんなに私はあなたのことをこんなにも考えているのに)言うことをきいてくれないの?」とも。
これは、どこの家庭でも起こりうることだと思う。
ただ発達が難しいと、よりややこしくなることもあるのだけれど……。(コミュニケーション、社会性、理解、運動、自制心等々)
そんなときによく話すことがあります。
「今」は伝わらないかもしれないです。でも「未来」に伝えられるかもしれませんよ。
伝えることをやめたら、それで終わりです。
僕は、単純に希望とは言い難いこんな言葉が、割と好きだ。
ご家族からしたら、これほど希望のない(と思うかもしれない)話はないと思う。ホスピタリティ的にはいまいちかもしれない。でも、本当に大切なことだ。
人生に対して、誠実な気がするから。
保護者に寄り添いつつも、「いいよいいよ」だけではなく、押さえるところは押さえておきたい。それが対等な関係であり、協働だと僕は思う。
理想を持つのは別にわるいことではないし、でもコントロールするのは違うかなとも思う。子どもにも権利はある。
僕にも子どもがいて、自分自身も子どもとして父母と家族生活をしていたこともあるので、お母さんの気持ちもわからないでもない。
でも、子どもの気持ちもわかる。
小さい頃、母親に「あの子と付き合うな、そんなことすると大変なことになるから、やめとき」と予防予防で話されることもあった。
今考えると、子どもが失敗しないようにうまく生きていくことを願っていたことは容易に想像できる。
でも、子どもは友達との世界に生きている。憧れる存在がちゃんといる。だから、「なにゆうてるんや、そんなわけないやろ」と自分の主張を押し通していく。
そして、いつか親になる。
その時、やっと母の気持ちに気がつく。
結局、親にならんと、経験してみんとわからんことってあるな〜と気づく。
でも、当時リアルタイムでそれを想像することってほぼできへんな〜ということにも気がつく。
この「気付き」が大事なんだ。
想像して気づけない。歴史に学んだり、想像で気づくことができたらどれだけよいか。でも、そこが難しい。
もしこれが万人に可能になるのであれば、それは人類の夢だ。
だからこそ、自分で経験するしかないのだ。
こんな経験はおそらく多くの親がしているのにも関わらず、それでも自分の気持ちが勝ってしまう。そうでもないのかもしれない。
わかってないのではなくて、ただ忘れているだけなのかもしれない。
自分の経験を、親になった自分に置き換えられていないのかもしれない。
今、地元で一人で暮らしている母もそんな人だった。
母は僕が小4の時に離婚をして、一人っ子の僕を育てた。
先回りして、失敗しないようにしないように大事に育てたら、失敗への対応能力がなかったり、人のせいにするような人間ができた。責任が取れない男。
人のせいにすることも多くあった。親のせいにも環境のせいにもした。
でも、今は違う。自分の人生だ。スキにはするけど、責任はとるつもりだ。
心配して、それを未然に防ごうとする。それは親心なのだけれど、実は、子どものためにならないこともある。
コントローラーで操作される子どもは、コントローラーがなくなった時、自分で考えられるということに気が付けない。
「気付き」が弱く、問題への対応が難しい人間が出来上がる。
そして、ただただ、フリーズしてしまう。
だから、自分でそれを考えられる力をつけてもらうことが、子育てで大切なことなんじゃないかと思っている。
コーチングでもそれは言われている。
それに加え、発達的な特徴も持っていなら尚更だ。
困った子だ、将来どうなるかわからん。という話よりも、まず、かわいい時期を楽しんだらいいいのにと思う。それからで、いいじゃない。
いつかは、人の話を「あぁ、そういうこともあるよな」くらいの気持ちで理解できる子、聞ける子。そんな風になってもらえると素敵だ。
小さいうちにたくさんの失敗体験からリカバリーすることで自分で考えることができるようになる。
自分が気づいて、修正をかけられる。そのことが生きる力になる。
小学校くらいになれば、理屈で説明していくこともできるようになる。
そんな時は、尚のこと、自分で考える力をもっと身につけられるようにお手伝いがしたい。
コーチングとティーチングという考え方があるが、それらには順序がある。
なぜなら、何もしらない状態で自分で考えてみてごらん?と、コーチングをしたところで、それほど考えることはできないからだ。
時間が相当あるのであれば、そうしたことも可能だろうけど。
しかし、英単語をしらないのに、いきなり英会話がしゃべれないのと同じで、まずは単語を知ることが必要になる。(ティーチング)
例えば、新入バイトで食洗機をみている場面。
①コーチング
先輩「これってどう使うと思う?」
後輩「……。(まずは、教えろや……。)」
もしくは「こう使うんですよね〜ははは。ボンッ(故障)」ということもありうる。
どちらかといえば、
②ティーチング
先輩「これはこうこう、こう使うんだ。(マニュアル的)」
後輩「なるほど、やってみますね、これで大丈夫ですかね。」
みたいなほうが、遥かに効率が良い。
人間は言葉が使えるし、文字が読めるので、いままで培った先人たちの知恵を参考にできる。形ができるまでは、真似することはすごく大切です。
学習のベースになります。
世の中にあること、全てを自分で考え直していたら、生きている間に終われません。ときにはそれも必要ですが、発達の早い段階で、模倣ができるかを促す理由は、模倣が学習のベースになるからです。
①小さいうちに、何しても見放さないことをじっくり子どもに伝え、親という絶対安全基地から出動してもらう。
②少しずつ子どもに責任を与え、任せ、人として尊重することで責任の取れる子どもになる。
③子どもが自分で試行錯誤していく過程で自分のスタイルを築く。
④失敗を否定せず、チャンスと考えられる。
⑤人の話を一応聞くことができる。
とこんな子育てができたらなぁと妄想してました。
日々、子育てや生活。色々大変なことはあると思います。でも、要所要所で押さえておくこと、大切にしてほしいこと、大切にしたいことが決まっていたら、それ以外のところは気が抜ける。そんな生活はいいなぁと。
それでは、また明日!
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