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[人生にはBarが必要だ] 第9回 東京銀座 居酒屋あるぷ

今宵は私のホームグランドである銀座の「山小屋」へ久しぶりに一杯ヤリに行く。金春湯のすぐ近く、よく注意しないと通り過ぎてしまいそうな銀座八丁目の路地奥に昔と変わらない大きな「あ」「る」「ぷ」の3文字が光っている。1976年創業の老舗Bar 居酒屋あるぷ。

東京銀座 居酒屋あるぷ の入口扉

居酒屋の文字を冠してはいるが、もちろん歴とした西洋式酒場であり、このお店の年輪を深く刻むバードアを開けると、8席ほどあるカウンターの中に立つオーナー、筒井 喜和子ママが「あら、おひさしぶりね」と笑顔で声をかけてくれた。

私があるぷへ最初にお邪魔したのはもう20年以上前になるだろう。当時は亡き筒井マスターがカウンターで立っていらっしゃった頃からのベテラン常連さん達でよく賑わっており、1Fのカウンターでは立ち飲みする常連さんも多くいらっしゃった。

まだ若かった私に「立ち飲みだけどここ入りなさい、ここ。」とわざわざ貴重なスペースを空けて下さるとてもアットホームなお店。実は皆さん店名に由来する「山」が大好きな方々である。

喜和子ママ(右)と筆者(左)
店奥には亡き筒井マスターのお写真が飾られている

喜和子ママにハイボールを少し濃いめにお願いする。当時、あるぷのハイボールベースは「スーパーニッカ」だった。北海道生まれの私には馴染み深い銘柄であり、ノスタルジアな気分になったこともあった。「これも美味しいから食べてね」とママがキャビアをのせたクラッカーを出してくれた。ツヤっとしたキャビア粒の光沢がなんとも食欲をそそる。

BGMはアントニオ・カルロス・ジョビンの「イパネマの娘」。その頃はダブルカセット付きCDデッキから流れていたのを思い出す。入り口には黒電話が備えてあり、店内の壁には美しい雪山の写真があちらこちらに飾られ、店奥には「OGASAKA SKI」の文字もあった。

喜和子ママのご主人で前オーナーである筒井マスターが、大の山好き、スキー好きだったことから、山が大好きなお客さんが夜な夜なこの止まり木を訪れ、最近登頂した山の話や亡き筒井マスターの話で盛り上がっていた。

「あるぷ保存委員会発足してくれなきゃね」と喜和子ママが言うと常連さん達は口々に「それなら毎日会費支払いに来なきゃなぁ」、「俺は今月出席率ほぼパーフェクトだぞ」とすぐさま笑い声が店内いっぱいに広がる。

居酒屋あるぷ 2F

先ほど「保存」という言葉を出したが、あるぷには後世にぜひ残したい素晴らしいBar空間がお店の2階に在る。静かに階段を登ると、まるでそこは明治、大正の薫りがタップリと感じられる洋館の一室が広がり、当時の息吹を感じずにはいられないソファーや家具、豪華なシャンデリアや調度品の数々、そして藤城清治氏による影絵ガラス壁画などに目を奪われる。これぞ「絵になる」空間のひとことであり、良き時代の銀座のBar文化を体感することが出来る空間である。

居酒屋あるぷ 2F
藤城清治氏の影絵ガラス壁画

今でも現役で使用されており、まるで時が止まっているかのような別空間で、古き銀座に想いを馳せつつ、お酒をゆっくりとたしなむことが出来る。銀座で飲む機会があれば、ぜひとも早めに見に行って頂きたい絶景である。

人生にはBarが必要だ。

居酒屋あるぷ
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目7−5
電話: 03-3571-6464

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