詩とは なんだろう?
詩はよく書く。
その時の気持ちをうまく表せない時はなんとなくよく分からないものを書いてる。学生のころからそうだった。
学生の頃は求められることがあれば発表する機会があったが、大人になるとよく分からず書いてるものを人様に見てもらうのは羞恥を伴うし、求められることもないので発表する機会は無かった。でも、書いたものは溜まっていく、、
そこで、少し「詩」考えて調べつつ、幾つかの言葉を借りながら私なりの答えをだしてみた。
詩とは
詩は言葉の意味から必死に逃れようとしながらもっともそれに寄り添うものであり、
心の中にある言語化できないあるものを言葉で表現する芸術の一種。
同じ文章を書く人でも違いがある。
「詩人は言葉をものとして、つまり対象として捉えることの出来る人、小説家は言葉を徴表として捉えることの出来る人」と区分けするのがしっくりくる。
この区分けでは 極論だが、詩が韻文(音に合わせた文)であるかないか等問題ではなく、言葉の伝達性を捨て去って何らかのモチーフを構築したものが詩であって、詩に関する解釈とかそのような姿勢で詩を鑑賞してはならないもの。
この答えが出てから考えが変わった。
好きに書いたものを載せてみようかと思い立ちました。
楽しみは自由だし解釈しようとすればそれは一人歩きするものだけど、ある程度歩みよって楽しむものだとも思います。
言葉をテーマにした2作
望み
言葉は望んであろうか
考えを覗かれ利用されていることを
言葉は欲していようか
揺るぎない責任を
人の世の僅かな時間に
多様され意味を写し
この世界を構成する全てを表した
貴女が現れるまで僕にだって要らなかった
五十の音を半分も発していなかったころは
しかつめらしくもなく、
利に忙殺されることもなく、
ただ歌のようであればずっとそれでよかった
時としてこの上なく有り難く、
時に手に入れる前の心持ちに戻りたい欲に駆られ、
今日も貴女の海で溺れている。
はる
語りかけている
語りかけられている
語り 滸 悟り
肩身の狭いこの世界で
聞き取れることはない
聞き取ることもない
よもや あらゆる震えををなくし
もはや 水晶は透き通らず
この感覚を無に帰して
その肉塊を肥やしに真っ白な種を植えよう
芽吹く世界にて
限りなくあおいそよ風に触れ
咲かすだろう
語らぬ花を