祖母の一番古い記憶
母が引く荷車の荷台に乗せられ、足をふらふらだしながら田植え前のあぜ道を進んでいた。まだまだ桜が咲く前で肌寒むさが残る盛岡を柔らかい春風が気まぐれに通り過ぎる。
気まぐれな風が少女にはまだ少し大きめの麦わら帽をすくい上げ、ふわふわとあぜ道に咲くたんぽぽの横に置いてきぼりにしてしまった。少しづつ少しづつ離れていく麦わら帽子。ガタガタと音をたてながら昼下がりのきらめく道を荷車がゆっくり進み続ける。
その時何故だか母にそのことを伝えられなかった。何故だかは分からない。
どんどん小さくなっていくそれをずっと眺めながら家路についた。
誰にでも最初の記憶はある。どの時点からあるかは人それぞれだが幼い脳裏に何かしらのきっかけで刻まれた深い記憶はどんなに年老いても鮮明に残る。
80も半ばを差し掛かる祖母と記憶の話になり、彼女の一番古い記憶が上記の内容だ。季節や光や心情の移ろいを鮮明に覚えている。聞く側には鮮明とはいかないがセピア色のフィルム映画のような美しい情景が浮かぶ。
農作業の帰りなのだろうか?当時は第二次世界大戦中の日本。そんな田舎でも金属は政府に回収されていたようで、鍋などはほとんど持っていかれたと言う。
盛岡城跡公園には今でも台座だけになってしまった盛岡藩主 南部家の子孫 南部利祥騎馬像後がある。わざと台座だけは撤去せず残すことによって、見る人の想像力を掻き立て、より濃厚に歴史を伝えている。
祖母にはその騎馬像の記憶もはっきりあるそうだ。
その当時、まさか未来にこの様な時代になるとは誰も思わなかった。そこからはがむしゃらに生きるしかなかった。
私は平成に入った平和な世に生まれて、当時の人々の気持ちを妬む心があるなんて言ってしまったら反感をかうだろうが、無い物ねだりで少しだけそう思ってしまう。
水道はなく井戸で水をくみ、ガスもない為小学生から薪に火起こしをして風呂炊き米炊きをし、甘いものは例外なく神棚に飾られ、家長制度で父の権威は絶対で、食べる物にも困った時代。
人は楽をすればいくらでも楽な方向に進める。今からすれば恵まれてないように思うが当時には当時の幸せがあったと思う。未来は輝く以外に無かったと思う。
身の回りはどんどん楽になったが、幸福な国民が住まう国になれたと言えるだろうか?
そんなことを思いながら祖母の思い出話を聞いていた。
私の勝手な解釈だが実体験を語る人がいなくなった時思い出は消え、歴史になってしまうと思っている。当時を語る人から話を聞いた私の実体験をもう少し思い出として引き継ぎたい。