【危険】毒親育ちが親になる~解毒作業開始~
みなさんこんにちは、ばびです。
今回は、触れたかったけれど、
今まで触れられなかった、
「毒親」というテーマを
取り上げます。
というのも、
最近、妊娠安定期に入って、
少し体調が落ち着いてから、
今度はメンタル不調に
悩まされていて、
具体的には、
過去に親にされた嫌なことを、
たくさん思い出してしまうのです。
嫌なことは、なるべく、
忘れたいと思っているので、
記憶の彼方に追いやっていたはずの、
忌まわしい記憶の破片。
それらに、今になって、
なんで苦しめられているのか、
自分なりに考えたところ、
きっと、自分の子どもには、
同じ経験をさせたくない、という
自分の本能に突き動かされているのだと
思いました。
私の親は毒親です。
🔍毒親とは
毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。(Wikipedia)
毒親育ちが親になると、自分もまた、
毒親になりやすいと思います。
毒親の親も、毒親のことが多く、
親に洗脳されていると、
自分の家庭がおかしい、ということに
気づけないからです。
私はこれに危機感を感じ、
負の連鎖を起こさないためにも、
出産までに、毒親からの解毒作業を進め、
新しい人生をスタートさせたいと思い、
今回の記事化に踏み切りました。
自分の親が毒親だと、
認められるようになったのは、
ごく最近のことです。
毒親育ちあるあるですが、
自分の親が「毒親」だと
認識することって、難しいんですね。
自分の親なので、根底では、
好きになりたい、
安心できる存在であってほしい、
という願望があるからです。
ただ、毒親からの解毒作業は、
まず、自分の親が「毒親」ということを
直視することが第一歩となります。
「毒親」は明確な定義がありません。
私は「毒親」という概念を
知ってからずっと、
「自分の親は、
もしかして毒親なのでは?」
という気持ちを抱きつつも、
心のどこかではそれを否定したいので、
・お金はたくさんかけてもらった
・感謝できることも少なからずある
・育ててもらったし、感謝しないと
・虐待などをされたわけじゃない
…
等々、否定できる理由を探して、
自分の気持ちにフタをしていました。
でも、今考えると、
自分の親が毒親なのでは?という
気持ちに至る時点で、
残念ながら、その仮説は
当たっているのだと思います。
温かい親に恵まれた場合は、
そのような疑念を持つに至らないし、
「毒親」という言葉の意味も、
よく知らないのでは、と想像します。
私が思う「毒親」の定義は、
子どもが親を「毒親」だと思ったら、
それは「毒親」ということです。
世の中的には恵まれているとか、
わかりやすい原因(虐待など)の
有無は関係ありません。
先程、述べた通り、
自分の親のことを「毒親」と認めるのは、
かなり難しいことで、
一時の感情にまかせて
言っているわけではありません。
また、親のことを周りに言うと、
大体、以下のような言葉をかけられるものです。
・親はあなたのことを思って言っている
・子のことを思わない親はいない
・親孝行は、できるときにしないと後悔するよ
・親も完璧な人間じゃないよ
…等々。
わかっています。
親のことを毒親では?と思うと同時に、
これらの言葉が脳裏を駆け巡ります。
そして、このジレンマとの戦いこそが、
毒親育ちの一番の苦しみでもあります。
親のことを嫌いになりたい、
子どもはいません。
だから、毒親だと認めるまでに、
長い長い葛藤があるし、
自分なりに親との接し方に
気を使ってきています。
でも、そこまで悩み苦しむなんて、
やっぱり、良い親子関係ではない、
と思うのです。
「毒親」のもとに生まれてしまうなんて、
人生ハードモードすぎるし、
自分の拠り所がないということで、
とても寂しいなあ、と思い、
本当に認めたくない現実なのですが、
自分の子どもの将来を守るために、
現実と向き合おう、と決めました。
出産までに、間に合うのか、
わかりませんが、
この「毒親」テーマの記事を
シリーズ化して、世に出すことにより、
少しでも解毒作業を進めたい、
と思っています。
また、同じように
「毒親」に悩まされている人へ
何かヒントになれば、幸いです。
ということで、
今回は、解毒への第一歩として、
<自分の親は毒親だ>
と思い切って認め、記事にしてみました。
読んでいただき、ありがとうございます。
スキ・コメントいただけると嬉しいです(^ ^)
▼関連記事
↓この記事を書いた頃、
まだ自分の親が「毒親」だと
認められていませんでした…
自己肯定したくて、
無理やり、「親に感謝」とか
まとめているのが、
我ながら泣けてきます笑
毒親について調べてびっくりしたのが、
良好な親子関係を築いている人は、
「親に感謝」とか「親孝行しないと」
なんて、思わない(らしい)ということです。
自分の存在が親孝行、くらいに
思っているそうで…
根本から全く違う、と驚愕しました。
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