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伝統的建造物群の町を歩くと(汗)

昨日は35度という気温だったのに倉吉の赤瓦を歩いて見ようと
ぶらぶら😅

赤い瓦と白壁の町並みが続きます

この町には仏師が3人いましたが、今は一人になりました

伯桜鵬の出身地ですが
今場所はもっと頑張って欲しいです😓

下は大きな醤油屋さん❤

往時の繁栄ぶりが伺えます

下はゆらゆらガラスが面白くパチリ❤

赤瓦の通りは、昔は寂れてゴーストタウンのようでしたが
司馬遼太郎にどこが街の中心かわからないと書かれたことから
現地の設計士と建材会社の社長が中心となり、街の人を説き伏せて
伝統的建造物群の指定を得て古い町並みを復活させました😍

鯉の泳ぐ水路と石の橋が特徴です😍

下は醤油屋さんを改装した赤瓦一号館

見事な梁の重なりです

江戸後期には倉吉絣で
明治時代は太一車の生産販売で大いに栄えた町です😍

そしてその建物の奥にあるのはジャ~ン
里見八犬伝の元となった里見八賢士の三人😍

解説板に依ると
「里見氏は戦国時代安房国(千葉県)を本拠として
近隣に勢力を伸ばしていたが、慶長19年代第10代忠義の時
幕府の勘気に触れ倉吉神坂地内に配流された
江戸時代の代表的小説「南総里見八犬伝」のモデルと伝えられている
忠臣八賢士も、供として倉吉に居住し、忠義公に殉死をし
大岳院の一隅に祀られている」と簡単にありますが
実際は元の12万5千石から3万石(実際は4千石)で転封され
3年の配流の後、忠義は29歳で病死
主君の無念を鎮めるため?に殉死ということらしいDeath😓
ちなみに赤瓦を再興させた建築士は里見さんといい
千葉から倉吉に来た方です😍

下は倉吉出身の横綱琴櫻の銅像ですが

猛牛と恐れられました

今の二代目琴櫻にも、もっと頑張って欲しいです😅


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