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身体の自由を少しづつ奪われてゆっくり死ぬ

         (Amazonから画像をお借りしました)

藤谷治氏の新刊を司書さんから勧められて読みました。

音楽評論家として著名な英文学教授・討木穣太郎は、綾峰県立音楽堂を活動拠点とする綾峰フィルの顧問としてたびたび綾峰県を訪れていたが、ある日この音楽堂の取り壊しと綾峰フィルの解散を告げられる。釈然としない思いのまま迎えた音楽堂の最終公演の日、音楽堂で殺人事件が起きた。殺されたのは、音楽堂の取り壊しを引導した男だった―。(Amazon内容紹介より)


藤谷治氏の作品は初読みかと思って読みましたが、ブクロクの本棚を確認したら、1年前くらいに「花をようする」を読んでいました。

紹介してくれた司書さんは先に読み終えた中山七里氏も好きだといって紹介してくれので、どうもミステリ好きのようです。

さて本作ですが、殺人事件と題しているくらいですから、殺人事件が起きます。そして思いがけない人間が加害者です。それを主人公の討木穣太郎が、真相を暴いていたという事件を一緒に遭遇したフジツボオサムという小説家が編集部からの要請に応じて書いたとする物語です。

私はこの物語をミステリとして読むより、今の地方都市に根ざしている深い問題を、殺人事件を借りて世の中に訴えている物語として読みました。

本書p140からp141にかけて県職員の沢島が語る内容こそ、私の住む田舎町の問題です。

「東京の知識人は人口減少と一口にいいますが人は減るのではありません死ぬのです。老いて弱って病に冒され身体の自由を少しづつ奪われてゆっくりゆっくり死んでいきます。」

この言葉の前段に私たちの町と同様の実情が語られています。

都市部では生き辛いことを理由に殺人事件や放火事件が多く発生していますが、実は瀕死のような地方で生きていくことの方がもっと辛く大変な世の中なのだと、著者が代弁してくれているように感じました。


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