ラケット破壊の役割
【2023年7月8日 大幅追記】
最近、テニスにおけるラケット破壊が話題になっています。
日本人トッププロの西岡選手が全豪オープン4回戦まで行く偉業を成し遂げながらもラケット破壊が大きく取り上げられてしまったり、先日はブブリク選手が3本ラケットを折ったのが話題になりました。
こういうのを見ると、サッカーに例えればラフプレーばっかり特集して報道されているような気持ちになりますし、
「道具を大事にしないプロなんてありえない」
「〇〇選手(他のスポーツのプロ選手)ならそんなことしない」
みたいな大量のコメントを見ると、
「テニスをやったことも、試合を見たことも無いんだろうな」
と思うわけです。
が、別にバカにしてるとかではなくて、これは
「テニスがどんなスポーツで、ラケット破壊がなぜ起こるのか」
を考えるチャンスだと思うわけです。
というわけで、なんちゃってテニスプレーヤーかつそこそこテニスの試合を観るくらいの僕が、ラケット破壊について解説してみたいと思います。
好ましくない行為であることは百も承知の上で、そして僕自身も「こういうことが起きない方が良い」という前提に立っているとお伝えした上で端的に言えば、ラケット破壊という行為は、テニスというめちゃくちゃ厳しいスポーツの中で、数少ない救済措置の1つなのだろう、ということです。
プレーの過酷さ
皆さんはテニスの試合を観たことがありますか?
よくテレビとかで観るのが斜め上から見た映像なのですが、これは体感速度と全然一致しません。コートレベルと言って、選手の真後ろから見たやつか、斜め横から見たやつが分かりやすいです。
テニスコートの大きさはシングルスだと横幅がリムジンくらい、縦はだいたい25mプールくらいですね。そんなエリアを、トッププロの試合ではサーブなら速いと200km/h以上、ラリーなら100-130/hくらい、速いと150km/h以上のスピードでボールが飛び交います。
めちゃくちゃ速くないですか?
彼らは相手の姿勢やポジションから次に来るボールの位置や軌道を予測してポジション取りをし、細かく動きつつ時には全力で走りながら、小さめのオレンジくらいのボールを打ちます。
ラケットの面積は90-100平方センチ、お盆くらいの大きさだけどスイートスポットと呼ばれる小さめのお皿くらいの所に当てないとミスになったり相手にすぐボコられる球しか返せません。
そんなプレーを、4ポイント取ると1ゲームとれることになります。
4ポイント時点で2ポイント差がついてないといけません。
3-3(テニスのカウントだと40-40でデュースと呼ぶ)になると、2ポイント連取しないと1ゲームをとれません。
どんなに厳しい応酬を有利に進めても、1個のミスでポイントは台無しになるし、どんなに頑張ってポイントをとっても、相手のサーブ1本2本で簡単にひっくり帰ってしまったりもします。
これを6ゲームとれば1セット。
ポイントと同じで2個差をつけないといけません。
5-5になったら7-5にしないとダメです。6-6になったらタイブレークと言って、通常の4ポイントではなく7ポイントで決まる長めのゲームに突入します。
これを通常のツアーなら2セットとれば(2-0か2-1で)勝ちになります。
グランドスラムと言って全英、全豪、全米、全仏の4つは3セットとらないといけません。
なので1試合当たり1時間半から2時間、グランドスラムだと5-6時間になることもあります。
でもそれくらいならラケット破壊せんでもええやん、と思うかもしれません。
テニスはプレーに求められる繊細さとパワーとタフネスがハンパない上に、これから述べるルールやシステムが、またさらに厳しいのです。
ルールの過酷さ
テニスは他のスポーツと違って、きわめて孤独です。
チームメイトはいません。
そして、基本的にコーチとの会話や指示を仰ぐこともできません。
ポイント間は20秒(グランドスラムは25秒)、2ゲーム終わるごとにあるチェンジコートは90秒、セット間は120秒と決められています。これを違反すれば、コードバイオレーション(反則)の中でタイムバイオレーションと言って、ラケット破壊と同じく反則をとられます。
ラケット破壊行為はコードバイオレーションの中でラケットアビューズと言います。
1回目は警告、2回目は相手に1ポイント、3回目は相手に1ゲーム、悪質だと失格になることもあります。
そんなルールの中で、一瞬も気の休まることのないプレーを何度も何度も何時間も続け、戦況を打開し、自分の思うようにいかないプレーを独力で何とか修正しないといけません。
プレーは激しく強く動くことを求められ、頭はクールに保たなければいけません。
テニスコートはフィジカルとメンタルを同時に激しく削られる過酷な環境であり、選手はそこにたった1人で置かれているわけです。
他のスポーツと比べて
こんな中で、選手は何とか自分の知識と経験を振り絞って打開策を考えます。それでもうまくいかずにジリジリ追い詰められた結果、選手が何とかスイッチを切り替えるための最終手段的な方法が、ラケット破壊だと僕は解釈しています。
「象徴的な悪い行為」であるからこそ、孤独な中で万策尽きたとき、超えてはいけないラインを超えることでスイッチ切り替え効果を期待するわけです。
テニスのダブルスでは、ラケット破壊は殆ど見られません。
チームメイトが居るというのはそれだけでフラストレーションが溜まるのを防ぐし、破壊行為という一線を越えることに対するブレーキにもなります
コーチから指示を仰げること、つまり孤独でないことはそれだけで心の安定になります。
同じラケットスポーツであるバドミントンや卓球は、決められた時間のなかでコーチからのアドバイスを受けることができます。
また試合時間や肉体疲労の度合いは(おそらく)テニスの方が上です。
人間、疲労すればするほど理性的な振る舞いはしにくくなります。
他の集団スポーツでは、テニスほどに自分が「オン」であり続ける必要はありません。往々にして時間の取り方も自由で、テニスのようにオンとオフが厳しく制限されていません。
声を上げたり、誰かと接触することは不安や緊張やストレスに押しつぶされそうな自分を奮い立たせる効果があります。
テニスにはそれが許されません。
打つときの声は許されていますが、ボールが相手のコートに行ったときも声を出すと、威嚇行為とみなされて反則になります。
当然、他人、ましてや対戦相手と物理的に接触したり乱闘することなど許されません。
スポーツは、極論すると戦争の代替です。
人間の持つ根源的な暴力性を制御しつつも、完全に禁止することはできません。必ずここまで述べてきたような、ストレスや暴力性をガス抜きするシステムが存在します。
あなたが好きなスポーツも、その目で見てみてください。
きっと、追い詰められたストレスの発散やスイッチの切り替えを助けてくれるシステムが存在しているはずです。
(あまりこれは書きたくなかったのですが)逆にラケット破壊が起きないスポーツの負の部分だけをフォーカスすれば、とても嫌なものになってしまいます。
例えばサッカーは、「ファールをしてでも相手の展開を止めなければ」という場面があって、ラフプレーに繋がり、選手生命を奪うようなケガを相手に負わせる場面があったりします。
やった選手がレッドカードになろうが、相手選手のケガが良くなるわけではありません。それを承知でそのルールのままでいるなんて、なんて野蛮な!という見方もできてしまいます(なお僕が本気でそう思っているわけではなくて、スポーツが何らかの形で抱えてしまう負の部分は、みな無意識的にある程度受け入れている、ということを言いたいだけです)。
あなたが「〇〇(他のスポーツの選手)ならそんなことしない」と思う人も、テニスと同じ環境に置かれたらラケットを破壊してしまうかもしれません。
メディアやファンの反応は?
そういう事情をどこまで意識しているかは別として、テニスファンやテニスを知っているメディアは、ラケット破壊行為を「そういうイベント」的な目で見ている部分があると思います。
もちろん、テニスファンの中にも、これだけは絶対に嫌だ、見たくない、という人もたくさんいます。
(ラケット破壊行為が不快な人は見ないでくださいね)
この動画は、ATPといって男子のテニスの大会・ツアーを主催している団体の公式メディアのTennis TVが出しているものです。公式がラケット破壊特集やってるわけなんですよね。
見ていれば分かるように、破壊の時は観客も「オーウ」みたいな感じですけど、気性の荒い選手の派手なやつになると、観客も盛り上がったりします。
観客も破壊行為推奨の野蛮人なのかというと、そんなことはないんじゃないでしょうか。選手のプレー中は音を出したり喋ったりしませんし、団体で応援歌歌うことも(基本的には)ないですし、ましてやファン同士の乱闘なんて一切ありません。他のスポーツはどうですか?
選手も観客も、(起きないことが望ましいという前提に立ったうえでそれでも起きた場合には)ラケット破壊を極限状態のガス抜き兼スイッチ切り替え行為として位置付けているのではないでしょうか。野球ファンが乱闘をある種のお祭り的に捉えているのに近いんじゃないですかね。
大多数の選手は紳士的な中、ブノワ・ペールとかニック・キリオスとかみたいに気性粗めで「やっちゃいがち」な人もいて、個人的にはそういう選手の存在もヒールとかスパイス的に捉えています。
ただし何度も言いますが反応はそれぞれで、野球ファンが皆乱闘好きなわけではないように、みんなが肯定的に受け入れてるわけではないし、テニスファンだけどこれだけは嫌、という人も沢山います。
ラケットを破壊するなんて……と思う気持ちももちろん分かりますが、その代わりテニスは当然人との接触はしませんし、ラケットの他には地面か自分かボールしかありません。
ボールを無意味にぶったたくと、コードバイオレーションの中でボールアビューズが取られますが、これは危険なんですよ。
テニスボールなんてかんたんに100km/h以上のスピード出ちゃうので、人に当たったら危ないです。だから選手も基本的にしません。
ちなみに、ラケット破壊1回で、大きめの大会だと1万ドルくらいの罰金取られるらしいです。ラケットを提供してくれるスポンサーとの違約金的なものが発生するかはわかりませんが、おそらくケースバイケースじゃないかと思います。契約によっては1本で10万ドル単位の違約金になるという話もあるようですが、この辺りは定かではないです。
選手がラケット破壊をした時、単に怒りに任せてぶつけているだけではなく、並の人間では到達出来ないトッププロ選手が、それだけのペナルティを負ってでも何か打開をしたいという意識が介在しているのだろう、と想像できるわけです。
聖人ナダル
先のラケット破壊特集にはフェデラーやジョコビッチ、アガシ、チチパス、ズベレフ、ワウリンカ、マレーなど超ウルトラトップ選手も入ってしまっています。
ただし彼らトッププロの年間試合数は60-80試合くらいあって、それを何年もやって1回、とかそういうレベルの稀な出来事になります(ジョコビッチは少し多めかも)。
そんな中、超ウルトラトップ選手の中でも唯一(?)長年にわたって一切やっていないのがナダルです。これは本当にすごい。
ただし彼がメンタルを保つ方法はかなり特殊で、その鍵の1つが「ルーチン」だと言われています。あらゆる行動や予備行動を決めて、その通りにするということです。
線をまたぐ足は必ず右、飲み物のラベルは前向き、サーブやリターンの予備動作は顔や腕や足に至るまでの同じ部分を触る…ということを、本当に毎回必ずやります。病的と言ってもいいほどです。
この行為で時間超過っぽくなることがあって、でも反則取られないので、他の選手から評判悪かったりするみたいですけどね。キリオスとかに。
これからのテニス
今よりも遥かにテニス界が大人しく、まさしく「紳士のスポーツ」であった昔、1976年にジョン・マッケンローがデビューし、そのマナーの悪さが物議を醸しました。しかしそのアンチ体制的キャラクターと強さは、逆にテニスへの注目を高めました。
またその後スポーツブランドのナイキが参入し、それまでの地味目のウェアから、ストリート要素を取り入れた派手なスタイルが目立ち始めました。このアンチ体制的な派手派手スタイルで人気を得たのがアンドレ・アガシです。アガシはサンプラスとともに一時代を築き、テニス人気に大きく貢献しました。
テニスファンの多くは、見るだけじゃなく自分もプレーしています。幅広い層の人気を集めることで、メーカーの売り上げや大会の賞金は上がり、有能なアスリートがテニスに参入するようになりました。
しかしその負の側面として、かつての完全な紳士のスポーツとしての側面は、翳りを見せたと言わざるを得ません。
フェデラーも先ほどのラケット破壊特集に載ってしまっていますが、若いときは結構態度の悪い選手でした。が、今やレジェンドの紳士の代表格みたいに扱われています。彼はそれだけのメンタルコントロールを長年に渡って実践し、あの芸術的なスタイルを確立してきたわけで、テニスファンの大多数は、そういう姿勢を評価しています。
悪童的振る舞いが消えないジョコビッチはフェデラー以上に長く世界一位に君臨していますが、スポンサー収入はフェデラーの方が上ですし、ジョコビッチよりもフェデラーの方がファンが多いです(たぶん)。
企業も業界も、これからはもっとクリーンな方向性の方が業界にとって望ましい、という意識を持っているんだと思います。
今の若手筆頭格であるアルカラスやシナーは、若い時のフェデラーに比べてめちゃくちゃジェントルで、僕が知る限りラケットアビューズを取られたことはないです。今後は、アルカラスやシナーのような「クリーンなヒーロー」が業界を盛り上げていってくれると僕は期待しています。
まとめ
そんなわけで、ラケット破壊の裏側にある過酷さとスポーツの特性について書いてみました。
好ましくない行為であることは、何度も言いますが百も承知です。しかし人間の極限の戦いを楽しむスポーツの中で、唯一と言っても過言ではない最終手段のようなものなのだ、と僕は解釈しています。
破壊行為ばかりが取り沙汰されると、
「なんやこの選手」
「テニスってこんなスポーツなの!?」
みたいに思ってしまうかもしれませんが、ぜひ一度、試合をまるっと見てみてほしいです。あなたが適当に誰かの試合を観たとして、そこでラケット破壊行為が起きる確率は極めて低いです。
ほとんどの場面で、トッププロは自力で困難を打開し、素晴らしいプレーで観客を魅了してくれます。というかそもそもそれができなければトッププロになれないわけです。
そしてそれ以上に、試合中も相手のプレーを讃えて拍手したり、相手のミラクルショットにサムズアップ👍する素敵なシーンをたくさん見られます。
そんな超人同士の戦いを見て、自分でもあんな風にプレーしてみたい、とコートに赴いて……そんなところが、テニスの魅力だと思っています。