あきらめようか
あきらめると聞くと、
どうしても
悲観的な印象が先に立ちます。
それほどに、
物事の原因や理由を知ると、
自分の願いを
捨ててしまうことが多いのでしょうね。
その時、願いの強さ次第では、
あきらめては見たものの、
棄て去ることができず
悶々として、夜を、
一日を過ごすのですね。
「恋は詩人にする」
そんな言葉がありましたか?
恋は、激しい情動です。
心が根底から覆され、
かき乱され、
それまでに築き上げた自分が
辺り一面にばら撒かれてしまう。
心がかき乱され、
非日常を生きるから、
それまでにない言葉が、
降りてくるのでしょう。
日常に戻れる、
いや、引き戻される時、
もう一度拾い集めて組み立て直す。
あわてているから、
必ずどこかと違ってしまう。
「ものや思ふと 人の問うまで」
特に、自分をよく知る人に、
見抜かれてしまうのですね。
人を好きになる
合縁奇縁|《あいえんきえん》、
好きになるのに、考えは関係ない。
魂が揺さぶられ、
こだましあって恋に陥る。
魂を自覚する人など、居ないから
魂の乗り物である人間は、
理由もわからず翻弄されてしまう。
積み上げてきた自分の、
一体どこから
この情動が沸き起こってくるだろうか。
恋愛だけでなくとも、
積み上げた自分の中に、
自分も知らない部分が在る。
それが魂の意識だろうか。
もしもその恋が、
合縁奇縁で生まれたものなら、
頭と体で生まれた恋と違って、
再び、他人に戻ることもないだろう。
その恋が、たとえ
常識を逸脱するものだとしても、
道ならぬ恋に陥っても、
無理のないこと。
魂は、常識を超えたものだろうから。
あきらめる事など、できようか!
それとも、二人して
この世での修行を約束した、
ともに苦しむための恋だろうか。
そうであるなら、
二つの魂は、
目論見通りに苦しめられている。
好きになるとは、
このようなことなのだろう。
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