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職人かたぎ

手仕事をおこなう人を、職人さんと呼びます。

多くの職人さんは、
師匠と弟子の関係で育成され、
良い職人ほど厳しい修業を経験するようです。

小生の修行僧時代、
修業が厳しいのは覚悟の上だったけれど、
兄弟子たちの意地悪には閉口しました。

それは修業とは無関係の、
兄弟子たちの憂さ晴らし、八つ当たり、
あるいは立場の違いを思い知らせるための意地悪でした。

職人さんの仕事は、


言葉では伝えられない、微妙な技も数多く、
講義や教科書ではなく「修業」という形をとるようです。

茶道や書道、剣道や柔道のように、
技だけでなく、人としての道をきわめていく習い事は、
心技体の三位一体などと言われますが、
その道の大家のことばによると、

まず、体の動かし方、次に技を身に付け、
最後に極意がわかるものだそうです。

職人さんの職業は違っても、
大方はこのような修行によって専門家になるようです。

教師という職業は、


実は職人仕事です。

教育技術とか言いますが、
やはり体で覚え、
理論を身に付け、
それからやっと、子どもとの関わりが見えてくるものです。

ところが困ったことに、
学校の先生には師匠と呼ばれる人がいないのです。

昨今は、新採用の先生には指導教諭というベテランがついて、
一人ひとりの授業スキルについて教えてくれますが、
心については、教えられていないようです。

それでも、ひとたび教壇に立つと、
教師歴30年のベテランも、春に先生になったばかりの新人も、
等しく「先生」なのです。

教えられる子どもたち、子どもを預ける親御さんには、
先生を選ぶ権利はありません。

小生が考える良い先生の資質とは、
先輩教師の仕事ぶりを盗みながら力をつけるのは当然として、
自ら学ぶことを怠らないことが大事だとおもうのです。

とくに、
子どもたちから教わることが、先生としての成長につながります。
それが出来る先生は、かならず、良い先生になります。

こう考えると、人によって、先生に向き不向きがあります。

☆★

転職した人は、

とくに、畑違いの分野に転職した人は、
とても苦労します。

新しい仕事に関する修業だけでなく、
これまでの仕事で身に付けた常識の多くをすてさる修業があります。

どちらかというと、
すてさる修業が難しい。

何を捨てたらよいのか、
いや、それまでどんなものを身に付けてきたのか、
自覚できていないからです。

しかし、本当の職人なら、
自分の仕事に誇りを持ち、
自分の仕事については譲らない頑固さを持つものです。

仕事と言いますが、これを任事とも言います。
仕事の仕は「する」という意味だから、仕事はすること。
任事の任は「まかせる」という意味だから、与えられ任されたものです。

職人の仕事は、必ず依頼主があり、
依頼主に気にいった仕上がりでなければ、仕事とは言えないのです。
だから職人は任事をしていると言えないでしょうか。
それも職人仕事と、一般の仕事との大きな違いかもしれません。

☆★☆

親の仕事、親業という表現があります。


しかし、親は職業ではなく、立場であり、生き方です。

その人の生き方ですから、他人と比べることはできません。

人はみんな、誰かに育てられていますから、
親としての仕事は、誰かから受けた子育てを手本にしています。

親業もまた、本や耳学問、スマホで検索しても身につかない、
特別な任事です。

親業もまた、職人仕事であり、
多くの職人さんたちと同様に、
たくさんの学びをいとわない心と、
子どもたちから学ぼうとする心が大事なようです。

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