ことば足らずの悲劇
noteのフォロー
noteは、気心の知れた人?とだけつながっていたい🐸です。
今現在、相互フォローしてるnoterさん方は、🐸の感性と似通った一面をお持ちだろうと、その記事から拝察させていただいている方々です。
🐸の友だち
🐸には、親しい友だちは何人かいますが、友だちと呼んで良いのかどうか、自信がありません。現にある方に、〇〇さんの友だちだと自己紹介したところ、その方は〇〇さんから「友だちだと思っていない」と言われたとお聞きしました。
〇〇さんには🐸が友だちだと思っていることが伝わったけれど、〇〇さんは🐸を友だちだと思っていないことが分かりました。面と向かって言われたわけではないけれど、少なからずショックでした。
言われてみれば、〇〇さんと日ごろ同じ建物に勤めて、仕事上でお話しすることはあっても、いつか韓国旅行に誘ってとお願いすることはあっても、親しく話しているかというと、世間話などしたことはないのでした。
LINE事故
これは思い込みの失敗でした。親しい人とはLINEでつながっていますが、LINEは日本で一番…おそらく…一般化している短文SNS。
テンポよくトークしている分には何の支障もないのでしょうが、🐸のようにLINEに費やす時間と、会話のテンポがじれったいと感じるせっかちにはレスポンスが待ち長いし、こちらが頭の中で考えたことの一部だけ送信してしまいがちです。
すると、会話がかみ合わないし、主語を省略してるので何についてのコメントなのか、相手の方に誤解されて、その訂正にたくさん書き込まなければならないことがあります。
先日も、勘違いしたことを修正しようとして「忘れてください」と送ったら、LINEをブロックされてしまいました。あまり風通しの良い関係ではなかったための大事故で、風通しどころか密封されてしまいました(苦笑)
noterさんへのコメント
こう考えるのも、🐸の一方通行のnoterさんたちへの思い込みが、🐸からのコメントを重たく感じさせているのではないかと気づいたからです。
記事を書くことより、もしかするとnoterさんの記事へのコメントの量が多いのではないでしょうか。
冒頭に書いたように、🐸の感性と共通しているから、分かってもらえると思い込んで、感じたまま考えたままを書きこんでしまいます。
思ったことを書くのですから、推敲なんてしません。🐸の思いの押し売りです。さぞ迷惑に感じておられる方がいらっしゃるのでしょうね。
ばっぷくどんという奴のこと
🐸は草野新心平さんのばっぷくどんという詩から、勝手に…ほら、ここにも独りよがりが転がっていた…もらった名前を名乗っています。
これもまた勝手な解釈だけれど、詩の中の蛙は、孤独な生き方をして来た人生の終わりを覚悟するのです。そこに共感する🐸なのですから、相当に根が暗い。友だちが少ないのも、このベースがあるから独りになろうとして生きてきた結果だし…
だから、🐸のコメントは重たいものになるのでしょう。
決断
控えることにしました。
サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。