Owlの聲
萬象の聲 第一弾に寄せて
無数の命が踊りながら騒いでいる。
絶えず休まず、退くことなく
始まったばかりの前向きな命が騒いでいる。
音楽はいつも足りない。
無数にある音の中のごくわずかだけで作るから。
命の音や、世界の音は、少しも欠けたところがない。
それは全てが入っていると言う意味ではない。
ただそのままで、全てであると言うことだ。
雨の風景に君は、雨以上を求めないだろう。
石の色の味わいに、絵の具などたさないだろう。
命の感触に他の何がいるだろうか?
それは手で子どもの肌に触れる時のような
中身の詰まっている確かなもの
人が意図をもって音を選び、構成するなら、
誰かの最大の賞賛を得るかもしれない。
けれど、1番の美は、偽りない真は、
何も減らされなかった世界の中にある
ただ、当たり前の命の感触のうえにある
私たちは古来、
世界や命に宿る美を
己の範としてきた
けれども、それを緩やかに手放しつつある。
ただの当たり前を
世界に溢れる秩序を
命の力の可能性を
僕らはもっと近くに置いて
追求をして
そのいくらかを
己に写し取らなければ
ここに録られた言葉は
そんな世界の中のごく1部分を
切り取ったに過ぎないものかもしれない。
けれども、世界の随所に
本当の宝物が溢れていることを
僕たちが互いに思い出すためには
このような試みもまた
面白いものであろうと思う
人へ美しいものを招くための
試みの1つに大きな賛辞を送り
新らしい旅路のうえに
幸いの重なることを願う
Owl
もろみ
無数の命が騒いでいる
善悪の向こうにある
命そのものの色彩で
下を向くことを知らずに
前を向いて己の全てを誇っている
夏の日に、天へと手を伸ばす青い芽のような
ただ、のびのびとした、旋律のない歌
水の中で、小さな命が息をして
命だけが知っている
整然としすぎてもいない
乱雑すぎることもない
不思議な合唱を続けている
本当は、青く深い空のなかにも流れている歌
本当は、青々とした木々の幹にも流れている歌
本当は、僕らの身体の中に、絶えず響いている歌
小さなものたちの声は
どれも音にすれば違っていて
それでも、どこかで、通じている
世界が眼前に描く 一つの絵
決して消えない 一つの秩序
いつも語らう 一つの声
物みな底に一つの法ありと
故人が昔、話したように
まなざし
世界をどう見るか、どう聞くかは、
ひいて己や相手をどう見るか、どう聞くかと変わらない。
同じ目と、心で見るのだから。
見ている主体は、
片方を丸く見れば、他方も丸くみて、
片方を鋭く見れば、他方も鋭く見る。
すべて、
己の中に生まれたものは、次の己につながっているが故に。
世界の声にどう耳を傾けるか
世界の色彩をどう受け止めるのか
僕たちのほんとうの宝物が
胸の中に光るか否か
毎瞬問われている
良い眼差しを
世界へ贈り続けるなら
本当の贈り物が近くなる
一連の音の連なりが
世界へ贈る眼差しを
再考させるなら
当たり前の音は
音楽ではない旋律は
いつしか静かに
そして多弁に
その者へ良知を贈るだろう
落とし物
無数の音が、規則性もなく
大きな定めを破らずに
響き続けている
世界はいつも乱雑で、多重的で
その多重の中に真を包む
命の溢れるこの音も
水と酵母、世界と命が
連なりながら響かせている
命と世界が
2つでありながら
本当は一つであるという
原始の気づきを響かせている
新しい命が立ち起こり
ただ己を誇りながら
無心に、一心に
己の命の真を生きる
理性をもつ以前の
くすむことない
命の色
本当はひとも
同じ色の命をもつ
ただ、天命の示すように
己の中包み込んでいる設計図に
偽りなく寄り添い歩くなら
けれどもそれは、別のときに話そう
酵母たちの大合唱は
降り頻る雨の音に似ている
けれど雨なら、もっと違う音に響く
この当たり前のことが
肝心なのだ
世界は、その筆により
必ず己を正しく描く
他と競わず
己を曲げず
姿を通じて
ある大切なことを諭す
珍しい酵母の合唱に
窓を開けて響く世界の音に
同じものがあると言えば
君は、信じるだろうか
👄Owlの聲
👄萬象の聲 note とは
聲を聽いた「人の聲」を限りなく命の源泉に近い初動にお任せをし言葉を用いて顯していくという試みです。
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👄萬象の聲(バンショウノコエ) とは
森羅萬象 輪廻を絕え間なく繰り返し存在し續けるこの世界の理、目には映りにくい福音を宇宙に御還ししていくという取組みです。
Gospel of the Cosmos Circle #bansho