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#166 筆者がのこのこ出てくるなし

 旅行先だし特にネタがないので古い下書きかなにか無いかなぁ、と漁っていたら3年前に塩漬けにしたやつが出てきたので「これでいいや」という気になった。加筆してお送りする。

 スティーブ・ジョブズが亡くなったときに、彼の傾倒していた禅の師に乙川弘文という人があって一時話題になった。で、どうも、我々が思い描くところの「禅僧」とはかけ離れた存在であるらしい。ふむふむそうか、と調べていくと、何回か結婚して子供も幾人も設けていて、随分なアル中で、最後はプールに溺れて沈んでいた娘を助けようとして自分も溺れ死んだか心臓麻痺家で遷化したらしい。ではアメリカ、日本、ヨーロッパと駆け回って関係者に話を聞いて乙川弘文の人物像とその禅を掘り下げてみよう……と6年にわたって調べ上げたのがこの本でござい、という話なんですが、当方、どちらかというと「何が書いてあるか」よりも「どう書いてあるか」のほうに興味が湧く。

 取材を続けていくうちにだんだんと手駒が揃ってきて、ついには一定の評価ができるところまで集まりましたよ、といって本にする作業は書き手として楽しかっただろうなぁ、という印象を持った。取材のための行き先は世界あちこち、遭った関係者は(書かれない人も含め)たくさんおられただろう。ものすごい苦労だ。で、そのへんを、うまく整理してある。すげえなぁ、労作だなぁ、と思う自分がいる一方、なんだろう、そのあたりの必要な情報が整然としすぎて「どこまで本当なんかなぁ」と素直に飲み込めない自分もいる。
 日本における弘文の戸籍はどうなっているのか調べるために、アメリカにいる弘文の妻子(日本語は話せない)をなんとか説得して代理人となり、役所と談判の上に必要書類はローマ字でもいいことにし、とうとう戸籍を取り寄せた後のクライマックスは出来すぎであり、映画で言えばエンドロール後のお楽しみみたいな風情さえある。よく出来ている。よく出来ているがゆえに、書き手の作為が見えすぎるためにかえって弘文がどうでもいいみたいなところはある。
<乙川弘文を見誤っていた!>みたいなのもどうなんだろう。弘文が生涯かけて求めた禅に対する書き手のまとめかたも、なんか結局作者が一人で盛り上がりたいだけなんじゃないのか、みたいに思えなくもない。

 もっと若いときに、いろいろな編集の人に、異口同音に「筆者おまえが前に出てくるな」ということを云われてきたが、その結果どうなるか、といういい見本みたいな一冊だなあとは思いました。たしかに作者かきてが邪魔だわー。自分も前に出てくるタイプだけど。そういう自分自身をも面白がってくれれば、と思って精進はしているんだけど。

「精進しているようには見えない」? ならば成功……成功……。

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