見出し画像

#164 言葉にできない(怖くてさ)

 阿佐ヶ谷の七夕に今年もやってきたぞっ。

 いやぁ、ネタにしにくい。時代の変遷を感じる。
 本来であれば「阿佐ヶ谷の七夕といえば商店街の方や一般の参加者の方がこしらえた張り子が所狭しと並べられる夏の一大イベント! 意欲と妥協の折衝点から繰り出される絶妙なバランスの作品群に味わいマニアの老若男女が大喜び!」といった趣旨の記事を書くところなのです。かつては別のメディアでは書いた。なにが面白いって、飾られている張り子群の絶妙な歪みか、クオリティへの妥協とかにドラマを感じてきたわけです。ドラマティックという意味ではそのへんの演劇ドラマよりドラマティックなのよさ。

 もはやこのイベントを40年近く見ておるので、なんとなく変遷のようなものがあって、いっときメディアで取り上げられて人気になり、近年は3Dプリンタで作ったような精緻な作品が並ぶようになってからはつまんないもよおしになっちまったなー、と思ったものです。終焉を感じた。

初見は帰れなのだ

 ところがどっこい、中でレギュレーションの変更でもあったのか、原則的に手作りの作品に回帰したらしく、

今ひとつ精気に乏しい
肩凝ってそう
まんが道というチョイスにしびれるものがあります

 阿佐ヶ谷界隈の善男善女の「そういえば七夕に出してみたいけど実勢に制作可能で、締切に間に合って、かつ話題性に富むようなネタはなにかないかなー」という心中の葛藤が垣間見える張り子が見られるようになりました。制作者の葛藤と諦念こそが見ていて楽しい、と、そういう認識でおったのです。歪みにこそ制作の価値がある。作品のバランスの悪さにこそ人間味が醸し出されてくるッ。

 と、いうことも書きにくくなったなぁ。
 この歪みとか情けなさを面白がるということがしにくくなった。今もドッキドキで作文していますが、かつてのVOW的な面白さを感じる人間の性根の歪みこそがおかしい、みたいな傾向は、ないですか。
 こんなことを面白がれるお前は間違っている、みたいな。

 今回一番グッときた作品をあげます。

このリスはいつか見たリス
あああ名前が出ちゃってる

 どんぐりから顔を出す(あえて名前を挙げない)リスの頭に対して頭を突っ込んでいるリスの下半身の貧弱さ。これでいいんだよ。この「細けえことはいいんだよ!」という制作者の開き直りを見物者アタシはヨシと感じる。阿佐ヶ谷七夕は昔からそういう場所だったんだよ。著作権? 知らぬ存ぜぬ!

 以上、出るところに出れば出たなりのことがありそうな催しではございますが、こうした自由気ままな空気だけはなんとしても残していきたいなあと強く思う次第でございます。なんたって、

新旧奇跡の共演

 最近の作品を背景に、いまだにギャートルズが(つくりかけで)市民権をえてるんだぞ! すごいだルォォォォ!?

 ほんたうに、この混沌カオスと平和を、いつまでも。

いいなと思ったら応援しよう!

ながちろ
みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集