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#162 昭和ノスタル爺

 Twitter(自称X)をボーッと見ていると角川つばさ文庫版「あばれはっちゃく」の画像が出てきて腰を抜かした。お前はなにを見ても腰を抜かすな。頭どころか腰のネジも緩んでるのと違うか。
 しかし最近の絵柄よ。

 「あばれはっちゃく」、かつてテレビドラマで観たことがある。ドラマ自体が(1979年~1985年)のものだから、幼稚園のときに番組最後のほうをリアルタイムで見ていた記憶が残っているのであった。つまりそれは、なんだか知らないけど人相の悪い主人公の小学生と、PTA会長(たぶん)の塩沢ときである。画像検索するとこんな感じで、

画像はネットからの拾いものです

 そうそうそうそうおまわりさんこの顔です! と急に興奮してきた。
 今見ても悪い顔をしている。

 もともとはよみうり少年少女新聞に連載のあったものをまとめたものだそうなんですが、なんとなくうっすら覚えている「逆立ちをすると名案が思いつく」なんかの要素を追加して、テレビドラマ版はもっとゴールデンタイムのドラマドラマしておったなぁ。「父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」というのもなんとなく記憶にある。あのころのドラマの無茶苦茶さというのが懐かしいな。青島幸男の「いじわるばあさん」とかな。

 ここのところ、「トラック野郎」だの「ビー・バップ・ハイスクール」だのを地上波でやることがあって録画して観ていたのじゃが、当時常識だった暴力性も含めたうえで、やはり日本は元気だったんだなぁというのがわかる。そりゃあ当然、当時にもオールタイムで虐げられている人がいて、その人々の鬱憤晴らしのための娯楽みたいな側面はあったんだけど、暴力や理不尽に対して暴力や理不尽で返す、という手段を奪われたのが昨今みたいなことはないかね。どうもこう、小学生あたりから「チクチク言葉はやめよう」だの「暴力よりも言葉で」とか云いながら、管理する側がしやすいように倫理観を持っていく、みたいなところはないか。

 さて、こうした昭和の娯楽モノってどこに行っちゃったんだろう、と思って探してみたらスカッとする系のまとめブログとかYouTubeの子供向け(に作られた)番組なんかに姿を変えてけつかる。うちのヤングらもたまに観てる。小学生の女の子が生まれた環境によって先生の扱いの悪いのが、実は母親が金持ちと再婚して逆に先生がギュウとやられる、てぇな(割とよくある)筋立てのドラマ。こんなものもいまのヤングらの観るようなものにも生き残っておる。

 あれらの特徴としてはステータスの強さや、ド正論で、法的に正しくて(警察や裁判所のお世話になって)スカッとするみたいな問題の解決が基本線ではないですか。でもそれは、考えてみれば人間自身の持つエネルギーではないのだ。圧倒的に人間にエネルギーがないからこそ、己の正しさを担保するためにはシステムや倫理に則るしかなくなってしまっている。

 筆者アタシにとっては昭和の終わりから平成のはじめだ。エネルギッシュというか、ずいぶんとその手の理不尽にはずいぶん苦しめられた身のはずなのに、往時の映画の持つエネルギッシュな部分だけ見て「いいなぁ」と思わずにいられないところがある。やっぱりノスタル爺なのか。これは美化なんだろうか。
 そもそもお前、そのよくわからないエネルギーに虐げられる側の人間ではなかったか? などといいながらも、菅原文太も、仲村トオルも、若い頃だからこそ「いいなぁ」みたいに見えてしまう。老いとしかなぁ。そう云っちまうと身も蓋も無ぇんだけんども。

 あ、で、2冊とも読みました。『あばれはっちゃく』。面白かったー。この辺を読んでしまうと、問題解決の方法って、妙に理知的で、ロジカルであろうとするからこそ解決できない問題がいっぱいあるんじゃないかなー、という気分に拍車をかけてくる。

 この元気な感じを令和の小中高校生に読んでもらいたかったが、自分とこの小学生こどもにはやんわりと断られた。

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ながちろ
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