#116 「ストレートを投げる勇気がないから変化球しか投げない」みたいな
ダニイル・ハルムスがロシア文学らしくなくて面白いで! というDMが着たので「ほーん」と思って手に入れて読んだらいろいろなことを思いだしたり考えたりしたので書いていく。こんなご時世ではあるがみんなさんもプーシキンやゴーゴリを読むといいぞ。話が短いし「おれはロシア文学を読んでいる」というマウントがとれる。とれなくてもええか。
さらには「おれはロシア文学史を受講したことがある」というのがマウントになったこともある。今は知らんが、20年前は東京の大学でロシア文学の講義がある学校は3つか4つくらいしかなかったのだ……と、実際に書いてみるとまったくなんのマウントにもならねえな! 解散!
――参集! ハルムスの作品、読んでみたら不条理文学であったが当時のソビエトだでな、この人も「あやしい」ってんで警察に捕まって40歳足らずで獄中死する。しかし、読んだ感じ、これはモンティ・パイソンだなぁと思った。
収録の「名誉回復」なんかジョン・クリーズの声でもエリック・アイドルの声でも再現できる、もちろん納谷悟朗か広川太一郎でもよい。戯曲だろうか、舞台袖から転がり出てきたゴーゴリとプーシキンがお互いの身体でつまづいてすっ転び合いながらまた退場していくやつも良かった。読んでいる人も何を書いているのかわからないと思うが、実際にそういう戯曲が収録されているので読んでみるとよろしいあるよ。
本書の解説では仏教、主に禅からの影響について言及されていたが、当時のロシア人がどこの国から禅の要素を取り入れたのか、というのはちょっと引っかかった。よもや日本の禅からではあるまい――とすると、アメリカの心理学あたりからのほうが可能性が高い気がする。モンティ・パイソンというとウィリアム・ジェイムズの「意識の流れ ; Stream of consciousness」の流れを組むのであるが、おそらくベースとなる流れはこっちじゃないかな。なんとなくだけど。
ということを書いていて、関連して思い出すことがあった。
これも何年も前、アタクシが駆け出しのころの話だが、さる文芸書の出版社の社長から「これは新しいから読め」と渡されたのがこの『テーブルはテーブル』であった。ペーター・ビクセル(wikipedia)はまだご存命の様子。wikipediaには1970年の作品とある。ということは、1960年代に書かれたものであろうが、当時読んでみて「これは『天才バカボン』だな」と思った。「天才バカボン」でやっているような「ギャグそのものの解体」とか、意味されるもののと意味するもの――ほれ、20年前くらいに「記号論」死ぬほど流行りましたでしょ? あんなのを児童文学でやっていた。当時の愚かな(今でもおろかではある)アタシは「ははあこのひとは文学ばっかり読んできて天才バカボンも通過しなかったひとなんだな」と内心バカにしてしまったわけですが(えーと、いまでもちょっとバカにしている)、その当時、全く新しさを感じなかった。そのへんの感覚のズレはとてもストレスであった。おごりがあるとすれば、人間は誰しもが天才バカボンを通過しているわけではないということなのだ。それだけは反対の賛成なのだ。
今考えればわかるのだけれど、天才バカボンの連載が始まったのは1968年。それまで「おそ松くん」(あやうく「さん」って書くところだった)「ひみつのアッコちゃん」を経てきて「もーれつア太郎」と同時進行で連載が続いている。モンティ・パイソンのBBCでの本放送が1969年(日本語の吹き替えが1976年)だとすると、各個の問題ではなくて、世界全体としてそういうムードだったのだろう。立川談志『現代落語論』(1965)まで入れてしまうともうちょっとわかりやすいかもしれない。非常に大まかなまとめかたをすればユーモアだの、諧謔だの、批評性のまともな楽しみかたに飽きた人々のための娯楽、ということだ。ここで間違えないでほしいのは、これはけっして「穿った、斜に構えた、人とは違う」みたいな自己優越感のスタンスではなくて、遊んで、遊んで、パターンを読み切ってしまって、とうとう遊びそのものに飽きた人々が進めるスペシャルコースみたいな、中毒患者向けのメニューなのだ。
解説からするとハルムスと当時のスターリニズムを繋げておきたいような印象を受けるが、もっと単純な話としてもっと作家の個人的な「パターンの破壊」「家元云うところのイリュージョン」もっとひねくれた見方をすれば「ストレートを投げる勇気がないから変化球しか投げない」みたいな、自分を満足させるために色々な破壊と構築があったんだろうという感じがする。
畢竟ハルムス、難しいことは考えず、生活に飽きたような人が読むと多分面白い。ただ、こういう作品はこれだけたくさんあっても「もうええわ」ってなるとも思った。
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