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ASOBIJOSの珍道中⑭:夢の街、オールドタウンへ


 ”荷物もう入れた〜?”
 ”入れたよ〜”
 ”おにぎりはぁ?”
 ”入れた〜!”
 ”水は?”
 ”入ってるよ〜!”
 ”おぉ、あぶねえ、バッテリー忘れるところだったぁ。”

 はじめはただ、尺八一管とお扇子一本の身軽さで路上に繰り出していた私たちでしたが、しばらくして、大きなアンプを購入し、アンプを使うためにはマイクとケーブルも必要になり、それを一日中使うためにはバッテリーも持つようになりまして、さらに、観客の目を引こうと、舞踊傘に、飾り用の造花の桜も手にして踊ってみたり、シャボン玉をふわふわと飛ばすための小道具やら、日除けの編み笠、譜面台、ループマシン、MIDIキーボードにオーディオインターフェース、さらにさらにと、カリンバやら、シェイカーやら、何やらかんやらと、子供のおもちゃ箱のようにどんどんと荷物が膨らんでいき、おまけに、ファストフードすら値段の高いカナダですから、おにぎりや飲み物も持っていくようになり、気がつけば、台車に大きな箱を二つ積んで、半ばホームレスみたいに、ガラガラと、しかも仰々しく"Japanese Traditional"などと書いた紙を貼って、恥も知らず、どこへ行ってもスマホのカメラを向けられながら歩いていくのが私たちの日課となっていました。

 ”ようし、今日も行きますか〜!” 
 と、調子良く歩き出す私たち。今日はモントリオールで一番の観光地、オールドタウンへと向かいます。バス代すらケチって、徒歩30分でも歩いて向かうのでした。
 ところが、
 ボキッ。ガタ〜、、、っと嫌な音。
 よい。台車の車輪が壊れたではありませんか。
 ”うわっ、どうしよ”と、MARCOさん。
 ”いや、大丈夫。この車輪の芯が外れただけやけん、、ちょっとテープで補修すれば、、、。”
 と、なんとか応急処置をして、炎天の太陽の下、額の汗を一つ拭うと、またガラガラと音を立てながら、歩き出しました。
 
 私たちの暮らしているマギル・ゲットーと呼ばれる地区から南に向かって歩いて行くと、プラサ・デ・ザール(直訳すれば、芸術広場)と呼ばれるコンサートホールがいくつもあるエリアがあり、そこを抜けて大きな鳥居をくぐればチャイナタウンで、と思っていますと、
 ボギッ。ガタ〜、っとまた嫌な音です。
 
 ”くそっ!これだから安物っつーのは!”と、私も思わず。
 ”でもあんた、この台車の分のお金払わんかったんやろ?”
 ”ほうよ。ホームセンターのレジの子が箱とベルトの分だけレジ打ちして、台車はただ運ぶためのもんだと勘違いして打ち忘れてくれたんよ。どうせならもういっこ高いのにしときゃよかった。”
 ”そんなこと言っとるからバチあたるんやで”
 おまけにポツポツと雨まで降り出しました。モントリオールの夏の雨は油断なりません。熱帯のスコールのように降るのです。
 
 ぱ、ら、ぱ、ら、ぱらぱらぱらザザーーーーーー。
 
 私たちは大慌てで荷物を担いで、近くの建物の軒下に逃げ込み、雨宿りをしました。その間どうにもこうにも悪あがきをしましたが、台車の車輪は直せませんでした。

 ”ヤバい、もう時間や。”

 いま私たちが向かっているオールドタウンは、登録をした大道芸人に演奏時間が割り当てられる仕組みなのです。実は、春先に何度か来た時はイマイチこのルールを理解しておらず、きちんと申請などせずに、人の流れの良さそうな一角を見つけて演奏をしていたのですが、さすがに同業者から怒られてしまい、やむなく私たちもルール通りに手続きをし、予約をしていたのでした。
 特に週末の午後は多くの演者が申請をするため、抽選に勝たないと演奏をする権利が与えられません。しかもこの日は、Fー1の世界大会の決勝戦がオールドタウンで開かれる日で、一年を通して最もお金持ちで賑わうと言われており、ラッキーなことに、3時間ほどの演奏の権利を抽選で勝ち取っていたのでした。
 しかし、この通り。いつも私たちは時間に間に合わないのです!

 降るには降っても通り雨。パッと止んで、お天道さんがすっと顔を出しました。
 ”行くよ!”
 と、私は、台車を左に傾け、まだ無事に生きている片側の車輪だけでなんとかバランスを取ると、そのまま、ガタリ、ゴトリと駆けだしました。
 チャイナタウンの坂を下って、”Japanese Busker (=日本の大道芸人) Swallows"と、大きく印刷された紙を貼った台車を、非常に危なっかしく、おっとっと、と何度も転びそうになりながら、人を押し退けかき分け、グイグイと、突進していきました。

  ようやく最後の大きな階段のところまで来ると、二人で、台車のわきを片方ずつ持ち上げて、ゴトン、ゴトン、と大音を立てて、大きな階段を上っていきます。一体何事かと、観光客の家族連れも、この和服の男女の引っ越し屋さんみたいな私たちを、当然いぶかしがっておりますが、なんのその。こちとら汗は滝のよう。

 そうして上り切れば、まるでひと昔前のフランス映画に入り込んだか、一面石畳に、壁はどこもレンガ作りか石作り。あっちこっちの巨大な近代建築のドーム型の屋根に囲まれた広場は、古風な漆黒の街灯も、街路樹の前の花壇もベンチも、オープンテラスの店先も、どこもかしこも花、花、花の花まみれ。中央に突き立つ白い柱は、天に高く高く伸びに伸びて、その上に立つ聖者か英雄の銅像も見上げたってよく顔も見えぬほど。まさにこうした世界こそが、堅牢に、永遠に向かって積み上げてきた西洋文明の夢の世界なのです。その重み、その高さのあまりに空の大きささえ忘れてしまったかのような、余白のない、装飾の塊なのです。そこをかっぽ、かっぽと真っ赤な座席を引いた馬車が歩いていきます。
 ”MARCOさん!ヤバいことにいま気づいた!おれ、ここ、来たことあったわ!”
 ”そりゃあ先週も来たわよ。”
 ”違うよ。オレ、昔一回来たんだよ。トランジット(飛行機の経由)で!マイアミに行った時だ。”
 ”何言ってんのよ!”
 急に全身に鳥肌が立ちました。錯覚に駆られたかと思いましたが、きっと確かでした。記憶も夢も、つまりは想像と認識の澱。
 ”うわぁ、あれからもう5年だよ。おれこんなとこで何やってんだろ!”
 ”どうでもいいけど、早く、行くわよ!”
 まるで誰かがパステルで描いた壁画の中へと突入していくかのように、私たちは必死に片輪の台車を押して駆けていくのでした。
 

 
 
 
 
 

 

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