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(250114)いつか あの思い出が ほかの記憶と同じ色になってゆくまで

年始から何かしらなんかずっと体調悪いよ。
周りのみんなもそんな感じでアラフォーを実感しています。

2025年1月2日(木)
うっかり、『地面師たち』を見てしまった。
アンテナに触れないコンテンツだし明らかにしんどそうだし見ることもないなとずっと思っていたが、NHK年始恒例の『あたらしいテレビ』で感度の高そうなクリエイター陣が『地面師たち』の話題を少しだけしていて気になってそのままつるりと全話見た。面白かったのだけど(思った通りしんどくもあったが)、要素が何ひとつ『今』にハマってなくてなんでこれってあんなに流行ったんだろう?と疑問を抱く。
長考の末、『地面師たち』は2024年ドラマ界のNewJeansだったのだと考え至る。NewJeansがデビューした当時、K-POPはガールクラッシュ全盛期だった。2010年代後半からどんどこと勢いが付いたガールクラッシュはコンセプト自体の強さもだしサウンドの要素の多さも含めて食傷気味なリスナーも生んでいた。そこに出てきた清純コンセプトとミニマルなサウンドのNewJeansは大ヒットを起こすわけだが…最近のドラマって確かに多様性とか繊細さみたいなものにフォーカスしがちでエンタメとしてド直球の過激さっていうのは配慮の末に排除されていたのではと思う。そこに出てきたのがド直球過激エンタメである『地面師たち』で、これを支持してたのはきっと昨今のドラマに食傷気味でドラマから離れてた人たちなんだろうなぁと思い至る。
僕はハマらなかったけど、それでも離れてた人たちの心を取り戻すエンタメの凄みっていうのは感じたし、Netflix…ていうかお金って凄いなと思う。
ちなみに、個人的に2024年で『今』にハマってたと思うドラマは『ライオンの隠れ家』でした。『地面師たち』のほぼ対局にあるドラマだわな。とはいえ役者のうまさで些末な違和感を吹き飛ばしてるみたいな共通点はあって、今の役者さんたちってひと昔前より明らかに上手だよねって感心した2作でした。

2025年1月4日(土)~8日(水)
3日に、ヒートテックを着て出かけたことが全ての災厄の始まりだった。
そもそも僕は体温も高いし普段ヒートテックなんて着ないのだけれど、なんだか気の迷いが生じて古の頃にどこかで買ったヒートテックを着てしまった。寒さで心が弱っていたのだ。そして酒を飲みべろべろに酔い家に帰り風呂にも入らず着替えもせず寝落ちした。起きると長袖ヒートテックの布地部分だけ、つまり上半身の服を着ていた部分が真っ赤になっていた。しかもめっちゃ痛い。なんなのこれ?バイオテロ?ずっと痛いっていうより服を着ていると痛いし、なんか塗ると痛い。病院もまだ閉まってるし…と思い家にある適当な保湿剤を塗ってみるとなお痛いしそれが逆効果なのかなんなのか日々ひどくなる。美肌で名を馳せたばんまちゃんの上半身がすっかりサメ肌だ。これアメリカとかだったらユニクロを訴訟してるんじゃなかろうか?
月曜になり病院に行こうか迷うが昨今の社会において年始の皮膚科なんてインフルエンザを貰いに行くようなものだな…と明日…また明日…となり意を決して8日に皮膚科に行く。皮膚炎と診断され薬を処方されきっとお兄さんにはヒートテックみたいな化繊は合わないから避けてねと忠告され帰る。最近の大病院ってなんかものすごくシステマチックでベルトコンベアに乗せられた生産物みたいな気持ちになるからちょっと良いよね。(良いのか?)
薬を塗ってるうちに肌は良くなった(てかむしろ前よりキレイになったかも)のだけど。服着ると痛い、つまり1日の殆どの時間痛いって状態だったのが学びだったなって思ってて、身体の痛みが恐ろしくメンタルに影響があったし、それは知識として知ってる以上に体感した時の腹落ちがあった。年齢もあるんだろうな、若い時は痛みとかあってもまぁなんとかテンション保ってやってたように思うし。なんかおじいちゃんおばあちゃんとかがずっと体調悪いが故に機嫌が悪くなる現象のエビデンスを実感したような日々だった。
健康って最高!

2025年1月11日(土)
新宿で友達と昼飯を食いカフェを探す。プロントでよくない?となんとなく入ったプロントは最高の最適解だった。昼間からずぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと話し続けていたがプロントはコーヒーも飲めるし甘い飲み物も美味いし腹が空けば飯もあるしケーキもある(ケーキの味だけはイマイチだった)。そして知らなかったのだが今のプロントは夕方過ぎるとバー?になるのだ。よく見ると店内の各所にキッサカバ(喫茶+酒場)と書いてあり夜はバー営業になるようでそのまま同じ席でハイボールを飲み始める。かつて一日中サイゼリヤに居た時を思い出し、こんなにも怠惰を許容してくれる店がまだこの世にあったとは…という感動があった。一日の1/3くらいの時間をプロントで過ごしたけどその割に何を話したか全く覚えていない。仕事の中の努力って、男の人は仕事の中で完結できればいいと思って動くけど女の人は割と自分の生活とか人生にも還元しようとするきらいがあってそれは構造的なものかわからないけど女の人のしんどさのひとつの原因かもねみたいな話はちょっとした気がする。後の大部分は何も覚えてない。いっぱい注文はしたけどあまりに長居しすぎて店員が冷たくなってきたので(被害妄想かもしれない)プロントを出て歌舞伎町でラーメンを食って歌舞伎町タワー17Fのバーでアイスを食べて『地面師たち』ごっこ(山本耕史が『見えるか…あの土地をおれは110憶で買ったんだ…!』みたいな事をセックスしながら言うシーンのまね)をして帰った。

2025年1月12日(日)
No No Girlsの最終回の上映会みたいなものに誘われていたが、中盤で視聴離脱していたので断った。が、それをちょっと後悔する。この世の全員がNo No Girlsファイナル生配信見てなかった?まじで。後から聞いたら結構みんな放送とか全然見てなかったけど盛り上がってるしファイナルは見たよ!みたいな感じだったし(みんなそんなビッグウェーブおじさんみたいなノリで生きてたの!?)、最終回はすぐに見逃し配信されるのかと思ったらそうじゃないしで夜にはすっかり見ればよかったな~モードになってしまう。
いろんな人の感想とかまとめ記事とかSNSとか見ててNo No Girlsってなんで自分にハマらなかったのかな~とめちゃめちゃ考える。番組の性質的に参加者の同質性が高い上に所謂『推し』が見つけられなかったのが直接的な理由だけど、『推し』が見つからなかったのはなんでかな、と思う。そのうち今までの推しを列挙し分析してみれば自分って結構、世の中的にYesな子のこと推しがちかもしれない…みたいな謎のBadに至る。てかNo No Girlsは誰の推し!みたいな感じで見てる人も多くはなかったし、そもそもちゃんみなにハマらなかったのだろうか…?
あと、Produce101みたいな視聴者参加型のコンテンツと、虹プロやNo No Girlsみたいなひとりのプロデューサーが自分のグループのメンバを選定するコンテンツって同じオーディション番組でも相当に楽しみ方違うよね。Netflixみたいな月額いくらで見放題!と月いくら払ったら月一度何か送られてきますみたいなサービスが両方サブスクって呼ばれてることと同じくらいの違和感あるしこんなにオーディション番組が流行るならもう別々の呼称が出来ればいいのにって思う。いやてか先にサブスクの方の呼称をなんとかしてくれよ。後者って絶対サブスクじゃないでしょ。
うんなんかもう話ズレまくってるけどNo No Girlsハマらなかった理由も会う人会う人と話してるけど結論つかずなのでいつかきっと折り合いがついたらまたまとめるでしょう。てかその前に全話見る。
年始から謎に韓国ドラマの『応答せよ1988』を見始めてしまったのだが、面白すぎてすっかり1988年のソウルの住人となってしまい、ちょっと今は他のエンタメが入る余地がありませんでした。

以上!

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