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七本足の蛸

蛸の足を、数えたことがあるだろうか。よく、八本だと言われるそれである。

私は、自分で、スーパーの鮮魚売り場なんぞに行って、蛸を買ってくるということがあまりない。実家に住んでいた頃に、母親が買ってきて食卓に並べたぶつ切りの蛸に箸をつけた覚えはある。結婚して、実家を出てから、妻が購入しておいてくれた蛸が料理に用いられて私の喉を通ったことももちろんある。あるいは、街の商業施設に出かけて行って、そこにあった屋台風のしつらえをした店で六個だとか八個だとか入ったのを買って、細長く尖った串や楊枝のようなもので刺して持ち上げた球体、こんがりと焼き上がった生地にソースだかかつぶしだかマヨネーズだかがとろけた熱源の内側に刻まれたそれが入っており、咀嚼のときに「ぐにぐに」と押し返すような歯触りからその存在を思うこともある。それが、私にとっての蛸である。

ほんとうに、「ままの姿」をしている蛸を、私は、生涯でどれだけ見ただろう。あるいは、これから見るだろう。これまでに、そんなに見た憶えがあるわけでもないし、これからそんなに見るつもりもその予定もない。積極的にその機会をつくる意思もいまのところない。

その蛸の足は、八本だというのが、なんとなく私の頭には刷り込まれている。そう、実際に、自分で「ああ、蛸の足は八本だなぁ」と、まぎれもない事実をまじまじと実感した経験が強く印象づけられている感じがするわけでもないのに、なんともなしに、私は「蛸の足は八本である」と思い込んでいるのである。

…七本でもいいんじゃないか? 

ふと思う。図鑑や写真に載っている、その姿から、蛸が八本足であることが確認できる機会は多いかもしれない。でも、あれらがすべて、でっちあげだとしたら?

出版するとか、絵に描くとかするときは、蛸の足は八本にしよう。というようなガイドラインでもあったらどうしよう。

それで、ほんとうの、現実の蛸の姿は、七本足なのだ。

私の頭には何かが足りないんじゃなく、蛸の足一本くらい余計なのかもしれない。

(そうしたら、九本か?)

お読みいただき、ありがとうございました。

青沼詩郎

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