自立の子
作為なく意図を持って出会ったものや人たちを出会ったとおりにつないで映し出すのが、ドキュメンタリー映画でしょうか。
編集しだい、とりあげかた次第では、現実の姿が歪められて鑑賞者に伝わってしまうかもしれません。自然に伝えるための「作為」が、そこにはひょっとしたらあるのかもしれません。映画はつくられるものですから、時間軸が一方通行に流れる現実とはやや違います。
視点も、視覚を持つ者の数だけあります。一台のカメラ……である必要はありませんが、基本、映画のスクリーンはひとつです。画面内をいくつかに分割して、同時進行でいくつものコマを見せるという手法もあるでしょうけれど、あくまでそれらを括ってひとつに見せる手段ですので、基本、やっぱり一作品にスクリーンはひとつです。スクリーンをいくつも並べて同一のスペースで同時上映する館はないでしょう。それらを括って、複数のスクリーンの同時進行それ自体をひとつの作品とする例も聞いたことがありません。
スクリーン(視点)がひとつ、という点がやはり現実と違うのが、映画です。実際には、たくさんの人が社会にいて、各々の視点を持って、うようよと動き回っています。
たくさんの視点をひとつに括ったものが、映画なのですね。一人格に視点はひとつですので、映画とは、人格に似ています。映画作品をひとつ生み出すのは、ひとつの人格を成すのに等しいのかもしれません。
作為を感じさせず、率直に描いたように伝えるのは、崇高な作為なのかもしれないと思いました。
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