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我欲とノブレス・オブリージュ
「ノブレス・オブリージュ」ということばは、なにかのアニメを鑑賞しているときに見知った。そのときには、なんの意味かわからなかった。
身分の高いものに課せられる社会的義務、道徳観のようなもの、といったニュアンスか。
ボランティアは、それをしているおのれが気持ちよい、というのがその行いを支える基盤になっているように思う。もちろん、それだけでは語りきれていない。けれど、少なくともそうした側面があると思う。
社会に対して、何かを果たそう、報いようとすることは、気持ちがいいことなのかもしれない。おのれのおこない・はたらきかけが何者かに作用して、影響を与える。そのことが、被奉仕者の生を助けるようなものであれば、なおさらその手応えは大きい。その手応えによって、奉仕者自身はおのれの生の手応えを感じさえするだろう。
お金があるとか、高い地位や身分があるといった人が、そうしたことに手をあげることがあるようだ。お金があったり、高い地位や身分があると、おのれの生の手応えを感じる手段として、それが有効になりやすいのかもしれない。
その精神性だけなら、お金や地位や身分がなくても、倣うことができるだろう。それによって、だれでも同様に生の手応えを感じることができるに違いない。
人工知能にその「ノブレス・オブリージュ」観が組み込まれたら、人間がおのれの生き方に迷ったときの支えになるだろうか。
そんな人工知能には、きっと「我欲」のようなものも組み込まねばならない。人間臭い人工知能のアドヴァイスだったら、僕は聞き入れる気になるかもしれない。
「男はつらいよね」とか言ってくる人工知能に、「ばか、女もきっとつらいぞ」とか言ってみたい僕である。
お読みいただき、ありがとうございました。