北海道の鉄道そして家庭学校 2 家庭学校その4-2
毎週日曜日(10:00 - 11:55)のTBSラジオ『日曜天国』で、パーソナリティーを務めている安住紳一郎アナウンサーが鉄道と家庭学校に関わる話をしました。
安住紳一郎アナウンサー
安住紳一郎(1973 - )さんは、北海道帯広出身のTBSテレビのアナウンサーです。TBSの「看板アナウンサー」として知られ、現在は平日早朝の生放送番組『THE TIME,』土曜日夜の『情報7daysニュースキャスター』、そしてTBSラジオ『日曜天国』などに出演しています。
日曜天国
『安住紳一郎の日曜天国』は、2005年4月10日からTBSラジオが放送している関東ローカルのラジオ番組です。ラジオ受信機での聴取は、東京・埼玉・千葉・神奈川・栃木・群馬全域と周辺5県の一部の地域とされています。それ以外の地域にお住まいの方は、コンピュータやスマートフォンを利用すると聴取することができます。
略称は「にち10」(新聞ラジオ欄では「安住紳一郎のにち10」)
番組メールが「nichiten@tbs.co.jp」、番組ホームページが「https://www.tbsradio.jp/nichiten/」と「にち10・nichiten ・にちてん」と呼ぶ略称が公式であることがわかります。
2024年4月28日 放送 「私の愛用品」
4月28日のTBSラジオ『日曜天国』では放送日前日の北日本での記録的な暑さ、特に遠軽町では30.1度を記録したことから連想して、40年前に家庭学校の先生・生徒と時間と空間を同じくした列車での安住姉弟のエピソードを安住アナウンサーは紹介しました。小学校2年生と幼稚園年長の安住家の姉弟が、二人で列車に乗ってその当時住んでいた美幌から祖母の住む帯広に向かう道中の話です。
安住アナが幼稚園年長ということなので、1979年(昭和55)の7月末頃の出来事であろうと思われます。安住姉弟は美幌駅を出発して北見駅で池北線に乗り換えて帯広に向かいました。池北線に乗り換えると、そこには遠軽から帯広方面に帰省する家庭学校の生徒と引率の加藤先生がいて、安住姉弟と共に帯広に向うことになりました。その時の加藤先生や生徒とのやりとり、その後の安住家との手紙のやりとりの話など、そして家庭学校や遠軽町のことを自分の乗車経験とともに紹介しました。「スパルタな母」が「行商やってるおばあさんたち」に帯広までの道中の安全について依頼したのですが、おばあさんたちがその役目を「家庭学校の加藤先生」に譲ったことで、今回の思い出話につながりました。
幼稚園年長のわずか4時間程の出来事を詳細に覚えていることに驚きます。なお、この放送の内容は、YouTubeそして書き起こしで読み聞きできます。
安住姉弟が乗った列車
当時、美幌に住んでいた姉弟は、おそらく美幌駅12時59分頃に網走発小樽行「急行はまなす」に乗車し、北見駅に13時22分頃到着、そして池北線北見発帯広行き13時40分頃発の「急行池北」に乗車したのだと思われます。帯広駅到着は16時40分頃ですので、日没の19時過ぎまでまだまだ時間があります。 *
*1979年(昭和55)の7月末頃の池北線上り列車時刻表を見ることはできませんでしたが、1967年(昭和42)・1971年(昭和46)・1975年(昭和50)そして1979年(昭和55)10月改正の時刻表を検討してその列車時刻を推測しました。
*「急行池北」は1979年(昭和55)10月改正で廃止
家庭学校の加藤先生と生徒が乗った列車
おそらく 遠軽駅12時22分頃発の札幌7時45分頃発 網走行「急行大雪」に乗車して、北見駅13時22分頃到着、そして池北線北見発帯広行き13時40分頃発「急行池北」に乗車して安住姉弟に巡り合ったのだと思われます。池田で下車する生徒が少なくても一人いたようですが、加藤先生と子どもたちの下車先・行先は不明です。
なぜ美幌に4年間住んでいたのか
『日曜天国』で安住アナウンサーが語っていることから、父親(母も)が精糖会社に勤務(日本甜菜製糖 美幌精糖所)していたからだと思われます。
その後、安住家は帯広市の隣町の芽室町に転居するのですが、そこには日本甜菜製糖 芽室精糖所があります。
日本甜菜製糖
1919年(大正8)に創立の「北海道製糖(1944年に明治製糖傘下となり北海道興農工業と改称)」は、翌1920年創立の「(旧)日本甜菜製糖(1923年に明治製糖に吸収合併)」の精糖工場を統合経営し、1947年(昭和22)に「北海道興農工業」から現在の「日本甜菜製糖」に改称しました。なお、1960年(昭和35)に本社を帯広から東京に移転させています。
略称は「ニッテン」あるいは「日甜」です。
「ニッテン」と「にちてん」 は、とても似ています。偶然でしょうが・・・
日本甜菜製糖株式会社HP https://www.nitten.co.jp/
安住紳一郎の日曜天国HP https://www.tbsradio.jp/nichiten/
2024年6月30日放送「私のまわりの気になる人」
6月30日の放送では4月28日 の安住姉弟の帯広行きに関する放送の反響等が話題となりました。
家庭学校に関係していた方からメールがいくつか届き、それが紹介されたのです。特に加藤先生の娘さんのメールには、加藤先生が池北線で出会った子どもが安住アナウンサーであることを認識していて、その活躍を応援していたことが記されていたのだそうです。
他のメールの内容も心震わせる内容ですので、TouTubeや書き起しで読み聞きしてください。
少し誤解が・・・1 「民間経営でやってるのはこの二つだけ」
この日の放送では、安住アナウンサーは90分番組の20分強を使って家庭学校に関する話題を展開しました。
東京家庭学校は留岡幸助氏が巣鴨で創立した施設ですが、今は東京都杉並区高井戸にある「児童養護施設」です。北海道家庭学校は東京家庭学校の分校として社名淵分校として設立されたのですが現在は「児童自立支援施設」です。この東京と遠軽の2つの施設はルーツは同じですが、規定される法律「児童福祉法」により異なる目的の施設となっています。
なお、民間経営の「児童自立支援施設」は、男子のみ入所する社会福祉法人「北海道家庭学校」と、女子のみ入所の社会福祉法人幼年保護会「横浜家庭学園」(神奈川県横浜市保土ケ谷区) の2つがあります。「民間経営でやってるのはこの二つだけ。」との安住アナの発言はとりあえず正しいのです。
*児童福祉法41条
「児童養護施設は、保護者のない児童、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」と規定されています。
*児童福祉法44条
「児童自立支援施設は、不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所させ、又は保護者の下から通わせて、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援し、あわせて退所した者について相談その他の援助を行うことを目的とする施設とする。」
少し誤解が・・・ 2 「流汗悟道」
留岡幸助氏が大事にしていた言葉も話題になりました。安住アナウンサーが「流汗鍛錬」と語りましたが、北海道家庭学校が「留岡幸助と家庭学校の理念」として紹介している言葉は「流汗悟道」です。この誤用の原因は、Wikipediaの「北海道家庭学校」だと思われます。ここには「流汗悟道」ではなく「流汗鍛錬」が留岡の信条とあります。
国立国会図書館デジタルライブラリーで見ることのできる最初期の「流汗悟道」を二つ紹介します。
人道に最初に記されたと思われる流汗悟道です。
・捷徑 : 早道。近道。
留岡幸助氏は日記に記しています。
北海道家庭学校HPでは「流汗悟道」を下記の通り説明しています。
【参照】
「北海道家庭学校 その2 大切な言葉」
「熊肉一斤 家庭学校 その3 の2」
ありがとう安住アナ
4月28日と6月30日の2回にわたり、TBSラジオ『日曜天国』で家庭学校が話題になったことは、北海道家庭学校がなお広く正しく知られることにつながるとても素晴らしいことだと思います。
110年の歴史
家庭学校社名淵分校は1914年8月24日に「開場式」を開催しその歴史を刻み始めました。なお、その経緯は明らかではありませんが、現在9月24日を創立記念日としています。
開校直前に社名淵に到着した様子が留岡幸助氏により記されています。
7月28日の留岡幸助日記に「旭川地方の状況」「アイヌ部落」について記されていますが、その後8月24日までの間に記述がないので社名淵に到着したのは「七月下旬」としかわかりません。
そして8月24日の様子が「留岡幸助日記」に記されています。
いつの機会にか、安住アナウンサーが遠軽そして家庭学校を訪れる日が来ることを心待ちにしています。
ぜひご覧ください
4月28日放送分の YouTube そして 書き起こし
6月30日放送分の TouTube そして 書き起こし
池北線
池田と北見を結ぶ池北線は、1911年(明治44)に網走本線の一部として開通し、翌年には網走までが全線開通となりました。しかし1932年(昭和7)に旭川・遠軽間が開通したことで網走本線の名は消え、旭川・網走間が石北線、池田・北見間が池北線と路線名変更となりました。
ふるさと銀河線
池北線は1987年(昭和62)の国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継されました。その2年後の1989年(平成元)には、 第三セクター「北海道ちほく高原鉄道」に転換され、池北線からふるさと銀河線に改称されました。
その後、利用客の減少や転換鉄道事業者に対する赤字補填事業の打ち切りや、経営安定基金の運用益による補填が超低利金利時代の到来もあり、経営の厳しさは増していきました。
様々な議論の結果として、ふるさと銀河線への転換から17年、網走線全線開通から95年、2006年(平成18)に鉄道路線の全線廃止・バス転換となりました。
writer Hiraide Hisashi
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