しつけと体罰と虐待の違いって何?

こんにちは。

子どもを取り巻く環境について考察するバンビといいます

改正児童虐待防止法と改正児童福祉法が2020年4月から施行されますね。これらの法律の変化は、虐待による子どもの死亡が一時期連日ニュースを騒がせたからですが、この法律改正の柱には、家庭教育における「しつけ」の中での「体罰」の禁止があります。この改正を巡り、しつけ、体罰、虐待をキーワードに広く議論になったのではないかと思います。

なぜ体罰が禁止となったのかというと、虐待事件の中で親(親権者)が「これはしつけだった」と言うことがあり、しつけのあり方を見直そうという意図があるのだろうと思います。それでは、「体罰」「しつけ」「虐待」とは何でしょうか。この三つには関係があるのでしょうか。定義を追いながら考えてみたいと思います。

虐待と体罰の違いとは?

虐待の定義は児童虐待防止法によると4種類に分かれています。(第2条1項~4項)

身体的虐待
児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること(第1項)
性的虐待
児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること(第2項)
ネグレクト(養育の放棄・怠慢)
児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護
者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。(第3項)
心理的虐待
児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭にお
ける配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届け出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。(第4項)

子どもの成長と人権に著しく損害を与えるような出来事が、虐待とされていますね。では体罰を見てみましょう。体罰は学校教育において使われてきた言葉です。そのため、定義も学校教育のものがあります。

その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
「文科省問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」
平成19年2月5日初等中等教育局長通知(18文科第1019号)

懲戒(教育やしつけの中で先生や親には罰を与える権限が法律上定められています)の中で身体に直接または間接的に罰を与えるようなものが、体罰とされています。つまるところ、懲戒をしつけと読み替えるなら、しつけの中で殴る、正座させてどこかに閉じこめるといったことも体罰となりそうです。
では、体罰と虐待だとどうでしょうか。しつけのために殴ることは身体的虐待かつ体罰に当たりますね。しつけのためにご飯を与えずどこかの部屋に閉じ込めておいたら、ネグレクトかつ体罰になりますよね。逆に、心理的虐待や性的虐待が体罰かと言われれば、しつけのためにやるということはまずないでしょう。

このことから虐待は体罰を含むより広い言葉となります。
もちろん、「こつん」と叩いたことが体罰に当たるのかや、一度だけ殴ったのが虐待に当たるのかという線引きの議論はあります。すべての体罰が虐待と言い張るのは体罰の範囲が広いためむずかしいかもしれません。また、今までの法律でも家庭内での体罰は禁止されていませんでしたが、虐待は不可という法律になっていました。つまり体罰という領域は非常に曖昧な領域だということです。
ですが、大まかにいえば、体罰は虐待の一部であり、曖昧な要素をもつということができます。ただ、体罰はしつけの目的の一部であるというところがポイントのようです。

しつけってなんだろう

先ほどさらっと「しつけ」を懲戒と読み替えてしまいましたよね。しかしそれは、十分ではありません。しつけはより広くとらえるなら、「家庭内における(主に親が子に)目的意識をもって社会の規範を文化伝達する行為」ということができます。ポイントは家庭内で、主に親が、子どもに社会的に望ましいと親が思っている規範や作法を伝えていくことです。そうなると、懲戒とは教育やしつけの中で、罰を与えることなので、懲戒は教育やしつけの一部となります。

懲戒はしつけや教育の中で起こるものでした。では教育はしつけと違うのでしょうか?
教育を広田照幸先生の定義から見てみましょう

『教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである』

意図的(目的意識をもって)に他者に、学習すを組織化する、ポイントは目的意識をもって他者に働きかけるということです。この定義からいくと目的意識を持ったしつけは、教育であると言えます。いわゆる家庭教育の一部にしつけがあると思ってよいのではないでしょうか。
「箸の持ち方は綺麗な方がいいからこうやって持つんだよ」
「お友達とおもちゃを仲良く使おうね」
「お店にあるものを勝手に触ってはいけません」
こうした、社会適応を目指した言葉がけは、意識をどれだけしているかは別として、ある程度良いと思われる規範を知っている大人が、子どもに働きかけているしつけと言えます。

ここまで整理してきたしつけ、虐待、体罰を図にするとこうなるのではないでしょうか。

この図をみると体罰としつけは厄介な関係にあります。なぜならしつけをする親(親権者など)の多くは良いと思ってやっていますし、この規範を知っていることは大切だと思っています。(実際に必要だと思いますが)
そのしつけの中で体罰も行われているので、体罰をすることが正当だと非常に思いやすいという傾向があります。
このしつけの一部である体罰という言葉が非常に厄介であり、色々なものを覆い隠してしまっているのだということが、しつけと虐待、体罰の議論を感情的なものにしてしまったり、経験論になってしまい収集がつかなくなっている原因なのではないでしょうか?

まとめ

一個一個をあげれば、もっと丁寧に語らないといけないと思いますが、ざっくり言うと、体罰という言葉が厄介者だということになります。
体罰は確かに、教育やしつけの一部です。もしかしたらある程度効果がある場合もあるのかもしれません。しかし、子どもにも権利があり、それが不当に侵されてはいけません。虐待は問題があると多くの人が思うでしょう。なぜなら子どもにも権利がありますし、良く育っていって欲しいからです。一方で教育も必要だと思うでしょう。体罰はこの二つに掛かってしまう言葉なのです。
なら体罰以外のしつけや教育をすれば良いじゃんと思うかもしれませんが、それが今回の改正の意図なので、そう思うのは非常に正しいですが、それが簡単にできれば苦労はないでしょう。なぜなら、体罰を含むしつけや教育は比較的簡単であるということもあります。教育の専門家である教師が、体罰を禁止されてもそれ以外の教育手法を取ってくださいねということは職業ということもあり現実的(実際にできているかは不明)ですが、一般的な家庭でそれ以外の教育手法を求め、それが浸透していくのはかなり時間のかかることかと思います。意外と根が深い話ですね。

この記事では、しつけ、虐待、体罰の三つをなるべく中立にみてみました。その結果体罰という言葉が真ん中を覆ってしまっているため、事態が非常ややこしくなっているということがわかりました。
これを読んだ方が一度引いた眼で、しつけ、虐待、体罰の三つを考えるきっかけとなってくださったら幸いです


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