教える―学ぶの関係

最近、小学生に人気のyoutuberを教えてもらいました。なんで人気なのかを聞くと、フォートナイトというゲームの元世界一位だからだと教えてもらいました。

なるほど、確かになというふうにと思いましたが、「教えるー学ぶ」ということは、先生と生徒が逆転しても成り立つことがわかります。

基本的なことですが、教えると学ぶとはどんな関係なんでしょうか。
今回は広田照幸先生と宮澤康人先生の2人の著書から見ていきたいと思います。

教えたら学ぶ?

教えるということは、相手に何かを学んでほしいと言う意図があります。
しかし、経験があると思いますが、相手が全然聞いてなさそうということがありますよね。

広田先生は「教える―学ぶ」関係についてこのような図でまとめています。

この図でまとめていることは、「学ぶ」ということは、学ぶ側に委ねられるていうことです。

教えることをしても、学ぶか学ばないかは、学ぶ側の自由ということです。

つまり、目的を持って教えたものを、相手が学ぶかどうかは偶然の産物なんだということでしょう。

学ばないということもあるでしょうし、別のものを学ぶこともあるかもしれません。
図3にあるように、学んだフリをするということもあります。


例えば、上の図でクラス全員が座って授業を聞いているのは、全員が「学ぶ」というよりは「学んだふり」をしているという方が近いのかもしれません。
そう考えると、学級崩壊は「学んだふり」をしてくれなくなったのかもしれません。

さらにこの図を見ると、教える以外のさまざまな事柄から「学ぶ」をしています。
仕事をしても、遊んでも「学ぶ」ことはあるし、「学ばない」こともあるということです。
(ゲームをしても学ぶこともあるし、漫画を読んでも学ぶこともあるので、頭が悪くなるなどいって、すぐ禁止しようとする保護者の方がいらっしゃいますが、この図から行くと誤りということでしょう)

このように学ぶ側に主導権があるというのは、教える立場になってみると忘れがちかもしれません。

学ぶか学ばないかは偶然が絡むのだと言いますが、実際に自分がいい先生だなと思った先生の言うことはよく聞いたりします。
なので、学ぶ:学ばないの比率が5:5から関係性の変化によって7:3ぐらいに変わらないものなのかなと思ったりもしませんか?

では、視点を変えて、教える相手に注目してみましょう。

教える人と学ぶの人の関係性

学校の中で、同じ生徒同士で教え合うのと、先生が教えるのが同じということはないでしょう。
宮澤先生は世代間に注目して教える学ぶについて論じていますが、そこで、三つの関係性をあげています。

タテ(世代間の垂直の関係)
ヨコ(同世代に属する者同士の水平の関係)
ナナメ(世代は異にするが、親子や先生生徒のような関係でない関係)

タテヨコナナメの三つの関係を複合的に考える方法を提案しています。

このヨコの関係の同世代ですが、お兄さんお姉さんや弟妹のような近い年齢は入ります。

このようにみてみると、子どもを「教えるー学ぶ」の関係はタテの関係または、ヨコの関係ばかりでナナメはほとんどないことがわかるでしょう。

一人っ子にいたっては、学校の同級生を除いたらタテの関係ばかりです。

先ほどの話に戻りますが、先生と生徒の中で、「教えるー学んだふりをする」という関係がありました。

なぜ学んだふりをするのでしょうか?
それはある程度、学校や先生に権威があるからでしょう。
やりたくなくてもとりあえず、座って大人しくしておくぐらいには、力関係があります。

そういう意味では「タテの関係」は権威の絡む関係です。

タテの関係は、目的を持って無理やり教えることができる関係でもあります。
なので、ぶつかってしまうこともあります。
もっというと「学んだふり」をしたり、「学ばない」ことも十分にありうるでしょう。

ヨコの関係は、対等に近い関係です。そのため、目的意識をもって学ばせようというニュアンスは小さくなります。
さらに、「学んだふり」をさせるような権威関係もそれほど強くはありません。
子どもの中で流行るゲームなり、テレビの芸人のセリフは妙に覚えが良かったりしますよね。
同じ教えるでも関係性が違うと考えると、納得がいく説明です。(教えてもらった内容が合っているかはわかりませんが)

それではナナメの関係はどうでしょうか?
そもそも、親や先生以外の大人から何かを教えてもらうということはほぼありませんよね?
親戚の叔父さん、叔母さんに何かを教えてもらうということも、近所のお爺ちゃんお婆ちゃんに何かを教えてもらうこともあまりありません。
ナナメの関係は、今ではほとんどありません。
学校や家庭の中にはナナメの関係はほとんど入ってこなくなってしまいました。
地域の関係もほとんどありませんので、絶滅危惧種です。
過去のように共同体を戻そうと考える必要はないと思いますが、色んな関係性やスタンスの人が入ることによって、教えたことに対する学ぶ確率や、より本人にとって必要なことを学ぶ可能性があがるのではないでしょうか?

まとめ

「教えるー学ぶ」関係は、学ぶ側に主体がありますなので、完全ランダムなように見えますが、教える人との関係によってそのランダムさは変わってくるでしょう。

タテだけに注目するのではなく、ヨコ(同世代)やナナメにも注目する必要があるでしょう。
最近はインターネットもありますので、ナナメの関係ができる新しい可能性もかくれているのかもしれません(個人的にはyoutuberのコミュニティなども良い関係性になるのではないかと期待しています)


参考文献
広田照幸(2003)「教育には何ができないか―教育神話の解体と再生の試み」春秋社
宮澤康人(2011)「<教育関係>の歴史人類学―タテ・ヨコ・ナナメの世代間文化の変容」学文社

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