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1991年夏、中国内モンゴル自治区。 ボクは1台のジープに乗り込み、西へ向かっていた。右…
翌朝、頭が割れそうに痛い。 ここに来る前に北京で1ヶ月間、語学を中心とした訓練があった。…
その後、新学期が始まるまでの1週間はオルドス式宴会もなく、自転車で小さな東勝の町をぐるぐ…
部屋ではひたすら授業のことを考えていた。 高校で言わば第二外国語のような形で日本語を教え…
部屋に戻り、しばらく授業の余韻に浸っていた。なんだかバタバタしてしまい落ち着きのない授業…
授業が始まって1週間後、待望の教科書が届いた。といっても届いたのはボクの分のみ。「生徒の…
ボクの部屋は校舎の2階の西の隅っこにある6畳ほどの空間。窓からの眺めはいい。運動場がよく見える。特に朝7時から全校生徒がクラスごとにグラウンドを3週走る姿と、午前中2時限目と3時限目の間に全校生徒が教室から一斉に出てきてラジオ体操のようなものをやっている姿を見るのが好きだった。 しかし、ボクの部屋にはトイレ、シャワーはもちろん水道すらない。毎日、朝一番の日課は水汲み。20リットル入りのポリバケツを持って校舎から100メートルほど行ったところにある食堂のそばの水場に行って汲ん
校舎は夜の9時半を境に不気味な静寂と暗闇に包まれる。それ以前とは全く違った世界となる。ボ…
ボクの部屋にはトイレがない。だから用を足すときは、校舎から50メートルほど離れた公衆トイレ…
ボクの部屋にはシャワーがない。髪はお湯を張った洗面器とマグカップとバケツを使い、部屋で洗…
オルドスの人の娯楽というとなんと言っても映画。時々生徒や先生に映画券が配られる。金を払っ…
オルドスの冬は寒い。冬の最低気温は通常マイナス15度くらい。時にはマイナス30度にもなる…
授業は相変わらず快調に続けていったが、毎回同じ流れで進んでいた。新出単語の紹介、文型練習…
赴任のときに校長が言っていた「ボクの家」は全く建つ気配がない。生徒用の教科書も買う気がないようだ。ひたすらガリ版を切り続けている。ここで言う「2、3ヶ月で用意する」というのは日本の「前向きに検討する」というのといっしょで「やらない」ということだと悟った。 日本語などどうでもいい、とにかくボクを無事に日本に帰すことだけを考える学校側の態度に強い不満を持っていた。 中間テストの時期、日本語もテストをやるのか教務主任に聞きに行ったことがある。「もちろんだ。」と言っておもむろにカ