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6、アンケートの結果

部屋に戻り、しばらく授業の余韻に浸っていた。なんだかバタバタしてしまい落ち着きのない授業だったが、思った以上に生徒たちが声を出してくれたので満足だった。

しかし、今日何気なく当てた子にはかわいそうなことをしてしまった。「しぐさはおしとやか。顔がすぐ真っ赤になるから『りんご姫』だな。」勝手にあだ名をつけてしまった。実際100人の生徒を区別するためにはあだ名をつけるのが一番手っ取り早い。

その後ゆっくり1つずつアンケート結果を見た。まず、生徒一人一人の名前にびっくり。普通中国人の名前は漢字2、3文字のはずだが、蒙古族の名前はやたら長い。例えば「吉拉嗄拉吉吉格」。日本語で表記すると「ジラガラジジガ」となる。そのほかにも「ウドンガリラ」、「アラタンウラ」、「ウユンブラゲ」などまるで恐竜か或いはプランクトンの名前っぽい。

後でわかったことだがモンゴル族には苗字がなく名前しかない。同じ名前の生徒が同クラスにいるとどちらか一人の名前の上に一文字追加する。例えば「ナリス」という名前の生徒が二人いたら片方の名前の前に「バ」を付けて「バナリス」と呼んで区別する。ちなみにこの「バ」は父親の名前の一部を採ったものだ。

各自の名前はそれぞれ美しい意味を持つ。例えば「ジラガラジジガ」は「幸福の花」という意味で女性の名前である。「ウドンガリラ」の「ウドン」というのは花の名前、「ガリラ」というのは「光」を意味していた。いい名前である。なのに後に「うどん」という単語が出てきた時は教室のみんなに笑われてしまった。「うどんの光」おいしそうだが、ちょっとかわいそう。実は「ウドンガリラ」の「ガリラ」は本当は「ゴリラ」に聞こえてしまうのだが、「ウドンゴリラ」ではあまりにもかわいそうだったので、「ガリラ」ということにした。どうせなら「ウドン」も「オドン」とかにしてやればよかったとやや後悔した。

モンゴル語の母音は7つあるのに対し、日本語は5つなのでなかなかモンゴル族の名前を日本語で表記するのは難しい。「アラタンウラ」は「金の山」、「ウユンブラゲ」は「知性の泉」という意味でどちらも男性の名前である。2クラス100人の名前を覚えるのに相当時間がかかったのは言うまでもない。

次に家族構成を見てまたびっくり。とにかく兄弟が多い。平均で4,5人、8人という生徒もいた。まだ一人っ子政策が行われていなかったのだろう。中には父・母・兄・姉・弟2人・馬3頭・牛20頭・羊200頭・・・、と書いてある生徒もいて思わず笑ってしまった。牧民にとっては家畜も大切な家族の一員ということかもしれない。

そして次は趣味の項目。なんとほとんどの生徒が「学習」と答えていた。確かに田舎で趣味といってもあまり選択の幅がないのかもしれない。もしかしたら初めてみる外国人教師を前に見栄を張ったのかもしれないが、日本の高校ではちょっと考えられない現象だ。あるいは日本のように誰もが当たり前のように高校に行くのと違って、ある程度学力があって、しかも経済的にも家族に相当な負担をかけなければ高校に入れない、という現実があるから、とにかく勉強するしかないという決意の表れかもしれない。

日本について知っていることの欄にはほとんど「経済大国」とか「技術大国」ということを書いていた。一人だけ「中国を侵略した国」と書いてあったのにはドキッとした。中国の学生にとってみれば、日本といえば真っ先に「侵略」という言葉を思い浮かべるのが本当かもしれないが、ほとんどの生徒はボクに遠慮してそう書かなかったのだろう。

日本語の学習動機については「日本に留学したいから」とか「日本の技術を学ぶため」とか書いた生徒も多く、うれしかったがこの頃本気でこんなことを考えていた生徒はいなかったと思う。ずっと後になって聞いた話だが、生徒はこの学校に来るまで、まさか自分たちが日本語を勉強するとは思っていなかった。入学して、日本人の先生がいるからということで彼らの意思とは関係なく日本語を勉強することになったそうだ。さらに外国語学習の経験もなく、ボクの説明も足りなかったためか、最初の授業の「あいうえお」は何のためにやっていたのかすらわからなかった生徒もいたようだ。ただわざわざ日本から来た青年が何か声を張り上げているからなんだか知らないが一緒に声を出さなきゃ、そんな感じだったのかもしれない。

結局、アンケートをとっても、これからどう教えていったらいいのか、見えてこなかった。しばらく手探り状態で進めていくしかないようだ。とにかくなぜ教えるのかよくわからない日本人の教師と、なぜ学習するのかよくわからないモンゴル族の生徒たちとの交流が始まった。

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(モンゴル族の生徒)

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(アンケート)

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