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1991年夏、中国内モンゴル自治区。 ボクは1台のジープに乗り込み、西へ向かっていた。右…
ジープでの6時間の旅を終え、ボクの受入先である「オルドスモンゴル族中学」に着いた。もう日…
翌朝、頭が割れそうに痛い。 ここに来る前に北京で1ヶ月間、語学を中心とした訓練があった。…
ボクの部屋にはシャワーがない。髪はお湯を張った洗面器とマグカップとバケツを使い、部屋で洗…
オルドスの人の娯楽というとなんと言っても映画。時々生徒や先生に映画券が配られる。金を払っ…
オルドスの冬は寒い。冬の最低気温は通常マイナス15度くらい。時にはマイナス30度にもなる…
授業は相変わらず快調に続けていったが、毎回同じ流れで進んでいた。新出単語の紹介、文型練習、応用練習、本文音読、最後にその日の学習項目のまとめ。少々ワンパターン気味、45分間に少し変化を持たせたいと思い、日本の歌を紹介することにした。 日本の歌は演歌からポップス、童謡までいろいろな種類のテープを日本から持ってきていたが、最初にどの歌を紹介するか、悩むところである。本当は日本の高校生が好むようなポップス或いはアイドル系の歌を紹介したかった。日本で流行っているからといってこちらの
赴任のときに校長が言っていた「ボクの家」は全く建つ気配がない。生徒用の教科書も買う気がな…
オルドスでの生活が進むにつれて、学校以外にも友人ができていった。 特に日本語が話せる人た…
活動を始めて半年間は言葉に不自由し、生活の不便さに閉口し、食事も口に合わず、寒さと乾燥の…
オルドスに来て最初の半年は言葉もわからず、生活するのも大変、その上学校からはボクの活動は…
1992年1月17日から冬休みに入った。寮に住んでいた生徒たちは、終業式もせず、この日の…
冬休みは学校の食堂も閉まっているので、当初ボクは学校の外で食事をしていた。そのうち学校の…
2月24日から後期の授業が始まった。オルドスに来てちょうど半年、コミュニケーションもある程度できるようになり、友だちも増えて、生活にも慣れて、活動に本腰で取り組む体制が整ってきた。 この学期から週に3回、夜7時半から9時まで蒙古族中学の先生や、一般社会人を対象にした日本語講座が始まった。もともとモンゴル族は日本にとても興味を持っていて、前から日本語を教えてほしいといったリクエストがあったのと、将来、ボクが帰国した後もこの学校に日本語教育がしっかりと根付くようにとの思いで始め