記事一覧
2020_05_31(日)
朝からamazonのカートに本を4冊放り込んで、ずっとそのままにしている。新生活になり2ヶ月がすぎた。新生活においては平穏に過ごしているけれど、この生活がいつまで続くのか、なんてことを考えると鬱々としてくるから不思議だ。わたしは刺激を求めていて、それでいて打たれ弱く意志薄弱で、受動的だ。つまらないつまらないと言いながら自ら動かない、しょうもない存在。コインランドリーで羽毛布団を洗って、部屋に掃除機
もっとみる2020_05_30(土)
21時以降に書いた記事の出来が悪いのは、だいたい眠気のせいだ。今朝は7時半には起床して、何かしらのメモをとっていた。朝のわたしはあんなにもやる気に満ち満ちて、「よし、今日はしっかりした文章をノートするぞ」と思っていたのに、今のわたしは眠気のせいでこんなにも投げやりだ......。20ページと読み進まないうちに、新しい本が手元に届く。また積む。どうかしている。この部屋の本も9割はクズなんだろうか?
2020_05_29(金)
公園でキウイを食べたら、飛行機が群れなして飛んでいった。『死をポケットに入れて』をぱらぱらと捲って、26日の記事で引用しようか迷ったフレーズを探したけど見つけられなかった。今、ぱらぱらと見ても見つからない。違う本だったのか?でもあの下品な言葉遣いは、間違いなくこの本のはずだ。とにかく眠たい。書きたいことはたくさんあったはずなのに、片っ端から忘れていく。忘れた中に宝石が隠されていなかったことを願う。
2020_05_28(木)
今日も公園でランチ。朝食が多すぎたので、フルーツを食べて抹茶味の豆乳を飲む。今日は右に女性の集団がいて、最初のうちは程よい距離感だったけれど、途中から近づきすぎて(人数が増えたせいだ)圧迫感があった。すぐ近くの人間に背を向けられてはしゃがれるのは、なぜかあまり良い気がしない。赤の他人なので当然のことではあるが。帰りに本屋に寄って帰宅。久々の本屋はあまりにも本が多くて少し怖かった。
2020_05_27(水)
単調な生活に嫌気がさしつつある。これは社会人になったからというわけではなく、昔からたまにあることだ。このまま死まで(あるいは死んだ後でさえ)繰り返しが続いていく。そんな時の乗り越え方としては、より小さな視点で生活を見つめ、変化を見つけてそれを楽しむことが有効と思われるが、そんな切り替えをする元気すらない時もある。今とか。
2020_05_25(月)
夜空を撮ろうとしてチェキを1枚無駄にした。《マラーの死》のように片腕をだらんとたらして、椅子に座った一日だった。
2020_05_24(日)
日記を書くことに乗り気ではない日の好例。それが今日だ。歩いたことのない道を散歩し、戸棚を直し、読書をした。昼寝はしなかった。せっかくなので昼寝しておけばよかった。半覚醒と眠りを繰り返す、娯楽としての睡眠。今日の日差しは少しばかり黄金の午後に近かったのに。夏に期待。
2020_05_23(土)
数時間前に買った出来合いのブーケの包みを裂くと、草のにおいがひろがる。すでに組み合わされ、束ねられ、フィルムと紙で覆われていた花たちは、店先では美しい商品でしかなかったが(わたしはそのブーケを選びとる時に、フィルムとクラフト紙の手触りしか感じていない)、洗面所のボウルの中で生き物らしさを取り戻す。
今日は散歩で、カラフルな小粒のかぶ、小松菜、飲むヨーグルト、プリン、味噌などを買った。帰宅してから
2020_05_22(金)
朝、ジャケットを手に取ると、左肘に2つ、穴が空いているのを発見した。どこかに引っ掛けてしまったらしい。一体どこに引っ掛かったのだろう?ピンクとオレンジの糸でそれぞれの穴を塞いでやろうか、なんて考える。真っ黒いスーツの生地ときっと相性がいい。
家を出る直前に文庫本を鞄に放り込んで、車内で読もうと取り出したら下巻だった。まだ上巻の50ページしか読んでいないのに。仕方ないから読んだ。職場に着いて鞄を開
2020_05_21(木)
今日は出勤。デスクについたら、たくさん書類が机に積まれていた。乗り越えるために元気が必要だったので、何を昼ごはんにするか悩んで、秋鮭と紅鮭のおにぎり食べ比べ大会をした。帰宅すると、頼んでいた素敵なハンドチーフが真空パックで薄く伸ばされた状態で届いていた。昆布のようだった。
2020_05_20(水)
雨に濡れたジーンズ越しに太腿を掻くと、爪先が青く染まる。そのインディゴが毛につかないように気をつけながら、くまをリビングルームから連れて帰る。ピンクと消費社会に惹かれて買った『消費社会の神話と構造』を真面目に読み始めたのだけれど、全然わからん、なんだこれ。難解。読むのにすごく時間がかかりそうだ。「三面記事(的)」という言葉も、いままで知らなかった。順を追って?『有閑階級の理論』から読むべきだったの
もっとみる2020_05_19(火)
複雑なものを単純化してしまうときに失われてしまうもののことを考えている。今日は、帰りにフォートナム&メイソンの4箱の紅茶を受け取って、今はミルクティーにして飲んでいる。録画していた哲学がらみの番組を見ているけれど、哲学の番組を見たからって哲学できるわけじゃなさそうだし、お洒落なフォントの字幕と洒落た色調の画面は、哲学をおしゃれなカルチャー、あるいはちょっとした自己啓発サプリメントへと変化させている
もっとみる2020_05_18(月)
私が何かを感じ、そのことを表明するときに、「私が」と書かずに、その「私」の持つ属性がそう感じた、と書くのが一般化というやつであると理解している。例えば「若者」「新社会人」「ぬいぐるみ愛好家」などなどなど...... 主語を偽装して主張すれば、それは主張者の私にまったく興味がなく、意識される関係がなかった他人にも響きやすいだろう。少なくとも、その主語にされた属性、あるいは対象にされた属性にとって、そ
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