マイファーストヘミングウェイ(2/3)~アッシュとキリマンジャロの雪・オーサーとの決闘をめぐって
わたしはこのシーンを読みながら、
「象は自らの死期を悟ると群れから離れて孤独に逝く」という昔よく聞いた「象の墓場伝説」を思い出していた。…*注
アッシュが自分の死について思うとき、この豹の死体のことを考えるというのは
死にゆく姿を目撃されたくない、孤独に死にたい、
という強い思いなのではないか?
アッシュはボスだ。
下の者が殺されれば、ボスとして報復に行かなければならない。
逆にボスが殺されれば、下の者たちが報復に向かうだろう。
そしてそれは相手にとっても同じ。
永遠に終わらない復讐の連鎖。
この連鎖を断ち切るためには
死にゆく姿を誰にも見られず、豹のようにあとで遺体が見つかっても、「なんでそんなところで!?」のような場所で死ぬしかないのだ。
しかし、オーサーとの決闘は暗黒街では広く知れ渡り、大物同士の対決ということで皆色めき立ち、どちらに賭けるかの話題で持ち切りとなる。
豹のような静かな死を迎えることはもはや叶わない。
だから部下にこんなことを伝えている。
BANANA FISH 8巻p92
自分が死んだら、復讐の連鎖もそこで終わってほしいと願っている。
わたしはあの伝説のラストシーンで、アッシュが図書館に戻った理由の一つがそこにあるのではないかと思っている。
ラストシーンについてはまた別の記事にしよう。
英二はアッシュの話を受けて、「人間は運命をかえることができる。豹にない知恵をもって…」と答える。
二人の会話は成立していない。
当然だ。英二は何か良くないものを感じてはいるものの、何も知らないのだから。
それに、住む世界の違う人間なのだから。
「無茶をしないでね」以外に何が言えるだろう。
BANANA FISH 8巻p48-49
この背景がすごい。不穏な空、飲み込まれそうなアッシュ。
オーサーはどんな手を使ってくるかわからない。アッシュは死を覚悟している。
さていよいよオーサーとアッシュが対峙する。
オーサーからアッシュへの気持ちはわりとすんなり理解できた。
身に覚えがあるからだ。
「持つ者」への嫉妬。
オーサーにはアッシュにない「野心」があった。
だからたくさん「持ってる」アッシュが、なぜ野心をもたないのか歯痒いのだろう。
対してアッシュからオーサーへの気持ちが掴みづらかった。
アッシュがオーサーとの決闘でなぜ圧倒的有利な状況まで追い詰めながら、銃を置いてナイフ同士の一騎打ちを挑んだのか、よくわからなかったのだが「キリマンジャロの雪」を読んで少し理解できた気がする。
アッシュの住む暴力の世界では、「力が強い者が生き残り、弱い者が死ぬ」のがルール。
しかしオーサーとの決闘の直前、生きるために殺す日々に疑問を感じ葛藤し始めている。
BANANA FISH 8巻p21
人を殺すことでしか生き永らえない自分の生とは何なのか・・・
英二=外の世界・違うルールの世界との接点も大きなきっかけだ。
もちろん英二側の世界に行けるものなら行きたい。
しかし、じぶんはこちら側の世界でしか生きられない。
そうであるなら、暴力がルールの世界にあっても精神だけはキリマンジャロの高みを目指せないものか。
「英二側の世界」では決闘とは殺し合いだから、どちらにせよ同じだ。
けれども、「アッシュ側の世界」で、ギリギリではあるが「キリマンジャロ=精神の高み」があるとすればそれは何で、どうすればいいか。
オーサーとアッシュの「長いつき合い」の中でやっと、初のサシで向かい合えるシチュエーションが訪れる。
もうお互い応援は来ない。オーサーといえど小細工を仕込むことはできない。
アッシュは初めてオーサーをファーストネームの「フレデリック」と呼び、「逃げずにオレと勝負しろ!」と訴える。
過去にアッシュが負わせた怪我でオーサーは銃の引き金が引けない。だからナイフ同士のフェアな戦いを挑む。
しかしこれはあくまで「アッシュ側の世界」でのキリマンジャロ。
英二側の世界では決闘自体が「知恵をもって避けるべき」ものであり、銃で殺すかナイフで殺すかに差はない。
そんなことはわかってるからこそ、英二を日本に帰そうとしたのだし、
BANANA FISH 9巻p21
もうこれ以上見ていられたくなかったのだ。
「アッシュ側の世界」と「英二側の世界」の断絶は深い。
*注 象の墓場伝説…象の死体や骨格は全くと言っていいほど発見されなかったため、象には人に知られない定まった死に場所があり、死期の迫った個体はそこで最期を迎えるという「象の墓場」伝説が生まれた。だが、実際には他の野生動物でも死体の発見はまれで、象に限ったことではない。自然界では動物の死体は肉食獣や鳥、更には微生物によって短期間で骨格となり、骨格は風化作用で急速に破壊され、結果的に遺骸が人目につくことはなかった。そうした事情が基になり、この伝説ができたものと考えられている。なお、人の往来が頻繁になった近年はアフリカのサバンナでも象の遺骸が見られる事がある。