マイファーストヘミングウェイ(1/3)~キリマンジャロの雪
アッシュの師匠ブランカの愛読書であることから、BANANA FISHの作中に何作か登場するヘミングウェイ。
アッシュも愛読していたと思われるので我も読んでみんとす。
マイファーストヘミングウェイはやはり「キリマンジャロの雪」で決まりだろう。
なぜなら
BANANA FISH 8巻p44-46 アッシュがオーサーとの決闘の直前「キリマンジャロの雪」に言及する有名なシーン。
さて、多くの人は決闘を控えていない。
死因は様々なれど、一般に人は死期をどの程度感じられるのだろうか。
今まさにお迎えがきているなというのはわかるのか。
「キリマンジャロの雪」の主人公ハリーは、もうそこまでお迎えが来ているということを感じている。
アフリカで狩猟をしていた小説家ハリーは、脚の壊疽で瀕死の状態にあった。救援を待つ中、看護する妻ヘレンが止めるのも聞かずに酒を飲み始める。ハリーは酔い、ヨーロッパ大陸の各所で過ごした日々を回想する。そして、多くの体験をしておきながら、作家としてほとんど何も書き残さなかったことを後悔し、慰めるヘレンに八つ当たりをする…
BANANA FISHの英二と、キリマンジャロの雪におけるヘレンは同じ立場だ。
死にゆくものはお迎えが来ていることを感じているのに
傍にいるものには死神の姿が見えない。
今、死神に連れていかれるなんて思ってもいない。
だから励まして、なだめて。
死にゆく者と、そうでない者の会話は成立していない。
当たり前だけど、私たちは死んだことがある人には会ったことがない。
死は体験談を聞けないことだ。
たまに昔の丹波哲郎のようにあの世を見てきたように話す人もいたが、
この小説はあの世へ行ってからの話ではなく
どのようにその瞬間に向かっていくのか詳細に書かれている点で貴重だ。
リアル(?)かどうか検証することはまたできないが
死の淵を彷徨ったヘミングウェイが書いたのだから、本当にこんな感じなのかも知れないと思わせる。
わたしはキリマンジャロの雄姿ではなく、どんな景色を見るのだろう。
みんなどんな景色を見たのだろう。
体験談を募集したいところである。
この小説の視覚効果は絶大だ。
冒頭のエピグラフを通過した者は頭にキリマンジャロと豹の映像を浮かべずに本文を読み進めることはできない。
豹が一歩ずつ歩を進める姿と、ハリーが朦朧としながらこの期に及んでなお何とか「全てを一つのパラグラフに凝縮」できないかと、精神のより高みを目指し格闘する姿が重なる。
だが現実はどこまでも残酷だ。
身体は魂の入れ物に過ぎず、そんな格闘があることは目に見えない。
魂がキリマンジャロの頂きを上空から見下ろすとき、
現世の人間(=ヘレン)の目にはハリーが死んだことを示す「かつてハリーだった黒い輪郭」が見えるだけ。
この対比に痺れた。