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マイファーストヘミングウェイ(3/3)~やがて来るその瞬間までキリマンジャロの高み(ただし朦朧とした理想かもしれない)を目指していたい

「キリマンジャロの雪」以外にもいくつか短編を読んだ。
読む前の「武闘派」「マッチョ」なイメージを覆して、
ヘミングウェイは「ど繊細」という印象だ。

キリマンジャロの雪はヘミングウェイ36歳のときの作品。
自分の来し方を振り返って抱いたすべての感慨が注ぎこまれていると言われる。
主人公の作家ハリーは、ヘミングウェイ自身の投影である。
「武器よさらば」以降、長編小説を書けていない自責の念。
ハリーが献身的に看護する妻ヘレンを「金持ちのあばずれ」と呼ぶのは
ヘミングウェイ自身が裕福な伯父の莫大な援助を受けていることに対する自己嫌悪の裏返しでもある。

ちなみに、パトロンへの複雑な心境はアッシュも時折覗かせていて、
ゴルツィネにもらったピアスについて英二とこんなやり取りがある。

ピアス誰にもらったの

BANANA FISH 7巻p31 時価30万ドルもする翡翠のピアスを「もらった」というアッシュに天然ツッコミする英二

これはわかる、と書くと自分にも大パトロンがいたみたいだけど(笑)
援助してもらわなければ今の自分はないという状況でも、
いや、だからこそ、
自尊心を傷つけられるんだよね。
若い時は特に、自分の力で立ちたい、立てると思っているし、
ここまで来たのは自分の力だとも思いたい。

この小説を20代で読んでいたとしてもあまり刺さらなかったと思う。
何者かになれると信じられたからだ。
自分がハリーなら書けたと思ったことだろう。
書くだけの材料は揃っている、そして何より書ける環境にいる。
それでも何年も書かなかった。
何年も書かなかったのに、もう死がそこまで迫っているときに書こうとして何になるのか、
何の意味があるのかって
ハリーに対して苛立ちすらしたかも知れない。

けれど、42歳の今ならわかる。
「死」というものがリアルに見えてきて人生の撤退戦を始めている今、
これは刺さる。

人生はどうしようもないことで溢れている。
いや、むしろ人生はどうしようもないことでできていると言ってもよい。
精神は最後の砦なのだ。
精神だけは「高み」を求めていたい。
終わりの瞬間が来るまで、キリマンジャロの頂上への歩みを止めないでいたい。

意味とかじゃ、ないんだ。
何のためにとかじゃないんだ。
それこそが
生かされている命を、終わりの瞬間まで燃やし尽くすことなんだ。
この世には何も残せなかった。
家も、財産も、大した仕事も。
バトンを渡す子どもも。

それでも自分はまだ生かされている。
この世にある限り
精神だけは撤退ではなくキリマンジャロの高みへ。
これから先は1歩ずつしか進めないだろう。
それでいいんだ…

いいのかな…
………
?…

ヘミングウェイにとってのキリマンジャロの高みは何だっただろう。
知人にあてた手紙の中で次のように語っている。

作家にとって至難なのは、人間に関して簡明・率直な文章を書くことだ。作家は第一に主題について知らなければならない。第二に、その主題をどう書くかを知らなければならない。いずれの目的も、一生かかってようやく成就できるほどの難事だ。政治を口実にして、そこから横道にそれようとする者は、例外なく自分を欺いているのである。

書きたいことを自分の言葉で書くこと?

1929年のウォール街大暴落をきっかけにアメリカは未曾有の経済恐慌に突入していく。
他の作家たちが続々と「社会」について論じているとき
ヘミングウェイは闘牛大全「午後の死」を書いている。
不謹慎だと時代が許さない。
自分が許せない?
いや、その時代に抗って?

キリマンジャロの雪を書いたのが36才とまだ若いからかも知れないけれど、
ヘミングウェイは揺れている印象を受ける。
そして私は、おこがましいけれど自分に重ねてしまう。
42歳も比較的にはまだ若いほうでしょう?
不惑の40というけれど、迷ってばかりだ。

諦めて、納得して(させて?)
残り時間と秤にかけて
何を残し、何を捨てるか
何だけは捨てられないか

何もできなかった。
何も残せなかった。
でもまだやれることがある。
何ができる?

奇しくもBANANA FISHアニメ版第2期OP曲でブルーエンカウントが歌った
「朦朧とした理想」という語は言い得て妙だ。
これは偶然なのか、意図して書かれた歌詞なのか。

キリマンジャロの高みは朦朧とした理想。
それはまさに「雪」ではないか。
つかんだら溶けてしまう。

それでも…

ゆらゆら
ゆらゆら

揺れる
揺れる

揺れながら
揺られながら
一歩ずつ

やがて来るその瞬間まで



#BANANAFISH #ヘミングウェイ #英米文学

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