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-1.46等の彼との交信を続けている話

僕の細い指の節々に皮膚の割れ目を作り痛めつけ、27センチの大人の足先をキンキンに冷やし、マスクをした口からガチガチと音を鳴らす事を強要する傲岸不遜な冬という季節が僕は好きだ。

これは僕がマゾヒストであるという事では無いし、そういった趣味に明るいわけでは無い。

また理由は一つしかないし、それ以外の点では嫌い(厚着をしないといけないし、枯れ木を見ると寂しくなる)なのだけど、全体効果というやつで好きなのだ。

その一つだけの理由が星が綺麗に見える事だ。

湿り気の少ない乾燥して僕を痛めつけるその空気は、僕と星との交信をより澄んだものにしてくれる。

人によってはただの光の点でしかない星に僕が興味を示した(正確に言えば思いを寄せるようになった)のは、確か小学三年生位だった。

おそらく僕はその時から大変熱心な夢想家だったのだろうし、彼の気持ちは非常に理解し易い。

毎晩マンションの8階のベランダに8歳の誕生日で教育熱心な両親から贈られた、その頃の僕には少し大きく感じた白と黒の洗練された天体望遠鏡を覗き込んでいた。

もちろん遥か遠くの空に浮かぶ彼らを、その僕の素晴らしい天体望遠鏡で覗いたところで、見えるものは大して変わらないし見えるのは光の球だけであるのだけど。

それでも僕は彼らとの距離を縮められてる気がしたし、僕のまだ小さく澄んだ右目に一杯に飛び込んでくる彼らを見て僕と彼らだけの世界を楽しんでいたのだと思う。

そんなロマンチシズム溢れる少年は、そのまま大きくなって今の僕になったわけで、一般的に大人と言われる年齢になった今でも彼らとの交信を続けている。

変わったところと言えば、まずベランダではなく同居人たちが寝静まった夜中に真っ暗な外に出るようになった事。

そして僕の素晴らしく自慢の一品であった天体望遠鏡を使わなくなったこと。

彼らは僕に重い頭を背中にくっつくくらいに反ることを思い出させてくれるし、その重くなった頭を軽くさせてくれる。

おそらく頭に日中溜まった老廃物がその運動で流れているためだと思う。

僕が好きなのはシリウスであるし彼の事はみんな知っていると思う。

この地球という小さな惑星からであれば最も輝いて見える。

実際はもっと明るいものはたくさんいる(リゲルやカノープスのように)けれどここからなら1番輝いて見える。

そんな星。

今日の夜もまた交信をしに僕は出かけるだろうし、このサディスティックな季節が終わることを惜しむのはなんだか思うところもあるけれど、

それでも彼が最も綺麗に見える今を楽しみたいので明日も出かけようと思う。




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