人格の完成? そんなものは一生未完成
人格の完成は、教育基本法の第1章の最初に掲げられている大目標。
疑問が湧きました。 そもそも人格って完成するものなの?
じゃあ、私の人格って完成しているの?
って教育基本法を改めて見返してみると、根本的なことが抜けていることに気づきました。
そうか、教育基本法って、何も子どもだけではなく、大人も対象にされているんだった。
社会教育、政治教育、宗教教育なんかは大人も含まれています。
私はこう解釈しました。
我々も教育を受ける対象者である。
人格の完成なんて一生できない。できっこない。
だからこそ、人格の完成をめざすんだと。
未完成でいいんです。
未完成がいいんです。
だからこそ、生きていける。
成長していける。
上から目線で、人格の完成していない子どもを教育してやるんだという態度は傲慢だ。
大人も子どもも一緒になって、人格の完成をめざす。それが教育の目的であり、社会や学校の目指す姿なんだろう
さあ、今日はどんな学びや気づきがあるのか?
今日も一日わくわく、にこにこ、学び続ける教員でありたいです。