感性開発
他者を通じて じぶんを知ろう
先週の金曜日、クリエイティブ・ファシリテーターの山田夏子さん(あだ名はなっちゃん)がゲスト講師として登壇して下さった。
「グラフィックファシリテーション」と「グラフィックレコーディング」の違い
グラレコ:(色や絵を使って)記録・話し合いの要約
グラファシ(略が合っているかは不明w):(色や絵を使って)話し合いのプロセスを主体的にする・言葉になっていないものを表現する→話し合いの活性化
3つの現実レベル
アーノルド・ミンデル という方が提唱した「3つの現実レベル」。目に見える「合意的現実レベル」、目に見えないけれど言葉になる・自覚している気持ち「ドリーミングレベル」、それから言葉にもなっていない感覚的なものや暗黙知を含む「エッセンスレベル」があるという。
合意的現実レベルは、事実・数字・結果・制度・しくみなどがあげられる。
ドリーミングレベルは、願い・恐怖・悲しみなどの、言葉で表現できる感情があげられる。
エッセンスレベルは、直感・雰囲気・イメージ・校風・暗黙知などの、まだ言葉になっていない感覚があげられる。
なっちゃんは、この3つのレベルを常に意識して、共有すること、一緒に旅をすることが大切であると言っていた。また、その人の背景によりそうことが大切であるとも言っていた。
人と話が合わないという場面があるが、それはこの現実レベルが一致していない状態で、お互いに自分のレベルで伝えているから起こることなのである。
相手の考えを受け入れた上で、自分のことを話すという心がけ1つで、人との対立は生まれないのではないかと思う。
背景によりそう
その人の背景によりそうという言葉を聞いた時に、自分はSEKAI NO OWARIの『Dragon Night』を思い出した。セカオワが有名になったきっかけの曲であり、『ドラゲナイ現象』という社会現象にもなったあの曲。
人はそれぞれ正義があって 争い合うのは仕方ないのかもしれない だけど僕の嫌いな彼も彼なりの理由があると思うんだ
当時の僕は、いじめられていて、中二病だったので、この歌詞が特に刺さった。それまでは、いじめられることは嫌だと思っていたが、この曲を聞いてから、いじめる側の気持ちを考えるようになった。
もしかしたら、僕が幸せそうに見えてそれが気に触ったのかなぁ。。。家庭の状況があまりよくないのかなぁ。。。など考えた。
相手の背景によりそうことで、自分の心も広くなったし、軽くなった。慮ることで心がやさしくなった気がする。
結局、3つのレベルを一緒に旅することが大切であることを学んだ。そのためには、まずは相手のことを知ることから始めようと思う。
おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい