離島でもう一つの「甲子園」―村田兆治さんの願いは今も生きている
阪神甲子園球場で高校球児の熱戦が繰り広げられている同じ時期に、遠く離れた長崎県壱岐市で、もう一つの“甲子園大会”が行われていた。全国離島交流中学生野球大会、いわゆる「離島甲子園」だ。
全国から中学生の23チームが出場
地理的条件に恵まれない離島の中学生に全国大会の機会を設け、島と島の友好を広げる目的で毎年夏に行われている軟式野球のトーナメントは、今年で15回目を迎えた。大会は2008年から始まり、全国各地の離島で開催されている。
今年は佐渡島、伊豆大島、八丈島、隠岐の島、種子島、徳之島、久米島など全国の離島にある25自治体から23チームが壱岐島に集まり、4会場で8月19日から22日にわたって行われた。試合の模様はYouTubeでもライブ配信され、沖縄勢の対決となった決勝では、石垣島ぱいーぐるズが宮古島アララガマボーイズを下して優勝を飾った。
引退した名投手が伝えた夢と希望
思い出されるのはやはり、村田兆治さんのことだ。プロ野球・ロッテ時代、「マサカリ投法」と呼ばれる豪快なフォームで通算215勝を挙げ、野球殿堂入りを果たした名投手が、1990年に現役を引退後、全国の離島の子どもたちに夢と希望、勇気を持ってもらいたいと野球教室を始めたのがきっかけとなって、創設された大会だ。
3年前、HEROs AWARDという社会貢献の賞で表彰された村田さんは、このようなコメントを残している。
村田さんは自身が生涯挙げた通算勝利数になぞらえ、215の島々を訪ねて野球を広めたいという理想を抱いていた。全国には400を超える有人の離島があるという。
二極化する中学生の野球環境
今、離島はもちろん、全国の中学生の野球環境は難しい状況にあるといえる。教員の負担軽減を目的に、公立中学校の部活動は、文部科学省やスポーツ庁の方針によって地域クラブへの移行が始まり、部活の衰退がささやかれているからだ。
一方、将来の甲子園出場を見据え、ボーイズリーグやリトルシニアなど、硬式野球のチームに入る中学生は増えている。この夏、東京ドームを主会場に開かれたジャイアンツカップは、そんな中学硬式野球の頂点を決める大会として知られている。また、15歳以下のワールドカップがコロンビアで開かれ、日本からはトップレベルの中学生で構成する「U15侍ジャパン」が出場した。
まさに競技環境の「二極化」が進んでいるといえるだろう。
海外遠征までする中学生に比べれば、離島での環境が厳しいのは当然だ。人口減少や少子高齢化の中、島の中では試合をできる相手にも恵まれないだろう。そんな状況にもめげず、野球に打ち込む子どもたちにとって、離島甲子園は、貴重な晴れの舞台だ。大会には、選抜チームも数多く出場しているが、単独でチームを組めない地域も少なくないのだろう。
「村田さんの思いを継承して」
村田さんは2022年、自宅の火災により72歳で亡くなったが、右肘を手術しながらも見事なカムバックを遂げた現役時代に加え、離島甲子園を通じて子どもたちに野球を広めた功績はこれからも語り継がれるに違いない。
村田さんが亡くなった後、「離島甲子園」の公式ウェブサイト(rito-koshien.net)は「村田氏は長年にわたり離島地域の振興に寄与してきました。野球を通じて島と島の交流を図り、夢・希望・勇気を持ち挑戦する心を伝えました。ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます」と記し、その死を悼んだ。
離島甲子園の出場者の中からプロ入りを果たした選手もいる。今年の大会に向けた記者会見で、ロッテ時代に村田さんとバッテリーを組んだ袴田英利さんは「村田さんの思いを継承して、離島球児に夢や希望を与え、離島地域の活性化に尽力していく」(日刊スポーツ、2024年7月17日)と語った。幸い、この大会には協賛社や協力企業が多数あり、国土交通省や日本プロ野球選手会も後援している。村田さんの願いをつなぎ、これからも離島に野球の光を灯し続けることを願いたい。
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