いい人はこうして作られる
母親から愛されなかった人はみんなに好かれたくて
みんなにいい顔をするらしい(加藤諦三氏の著書いわく)
私がそうだと思う
過去を思い返した時、どうしてYESと言ったのだろうということが
たくさんある
他人のために面白みのない時間を過ごしたし
たいして仲良くない人にまでお土産買ったり
付き合いやなんやで余計なお金もたくさん使った
でもその時は断る理由がないと思っていた
でも結局寂しさは埋められず実りもなく何も育んでもいない
心はからっぽ
いい人=都合のいい人 というわけである
けどそれを甘んじて受け入れていたのは
私の求めるものは与えられず
相手の求めるものには応えなければならない
なぜなら私は悪い子だから
という母から言外に発せられるメッセージを
受け取り信じてしまったからだ
私は母から嫌われていると受け入れられなかった
愛されて当然なのに愛さないなんて間違っている
私は悪くない、お母さんが間違っている
そんな憎しみを抱えつつ
かすかにでも愛がほしくて母に迎合してしまった
それがたくさんの不調・不満の原因
あまり強い態度に出れなかったのは
母親が「かわいそう」だったから
憎んでいるけど傷つけるのが怖い
だから甘んじて負けを選ぶようになった
そんな私は優しい子でもあり
子どもながらに打算や忖度を選んでしまった
ずるい子でもある
だから満たされない人の
都合のいい人の役割をしてしまっても
その環境下にいたから耐えられるのだろう
他人のために命を使っている場合ではない