きみのたまごの味

(毒)親のおかげで色々な視点で物事を見れるようになった…かも? 私の感じた心の違和感や…

きみのたまごの味

(毒)親のおかげで色々な視点で物事を見れるようになった…かも? 私の感じた心の違和感や苦しさの捉え方が誰かの役に立ちますように。 アート、音楽、建築、着物、動物が好き。

最近の記事

アダルトチルドレンがするといいこと

《お母さんのために生きるのをやめる》 私の例) 私はもうお母さんのために生きるのをやめるね お母さんが例え欲求不満でも 私はやりたいことをするね お母さんが例え機嫌を悪くしても 私は楽しいことをするね お母さんが縛られててかわいそうでも 私は自由になる選択をするね お母さんが私を負けさせようとして愛を人質にしても 私はその愛を見捨てて勝つね お母さんが私の性格を否定しても お母さんより私を好きでいてくれる人と繋がるね お母さんが私の存在を否定して罪悪感や羞恥心

    • いい人はこうして作られる

      母親から愛されなかった人はみんなに好かれたくて みんなにいい顔をするらしい(加藤諦三氏の著書いわく) 私がそうだと思う 過去を思い返した時、どうしてYESと言ったのだろうということが たくさんある 他人のために面白みのない時間を過ごしたし たいして仲良くない人にまでお土産買ったり 付き合いやなんやで余計なお金もたくさん使った でもその時は断る理由がないと思っていた でも結局寂しさは埋められず実りもなく何も育んでもいない 心はからっぽ いい人=都合のいい人 という

      • 「村上隆 もののけ 京都」展の感想

        村上隆展に行ってきました。(会期 2/3〜9/1) 若い頃キュレーターに憧れた時期があり、この方の本で現代アートの仕組みを知りました。その中でキーとなる単語、コンテクストという言葉はその本から流行ったと思ってます。 コンテクスト、つまり文脈。 村上さんは欧米文化の昔から続くアートの文脈から、自身の作風をアートビジネスシーンで通用するようにかなり戦略的に形作ってこられた方だと認識しています。 でも、失礼ながらあんまり作品を見たことがなかったです。 オークションで何千万、何

        • いい人

          いい人ってなんでしょうね 私はいい人というよりいい人でありたい人なんですよね だからみんなにいい顔はできないし 少し独特な好き嫌いがあってそれがあからさまに態度に出ることもある 母は私を性格が悪いとか気が利かないと言ったもんで 自分が悪いものだというベースがあるんですよね だからいい人を見ていい人の真似をして 人が嫌がることをしないようにして…って とっても息苦しい生き方を長くしてるんですよね しかも自分がいいことをしたなんて人に言わない 全部影でやってる ある時その

        アダルトチルドレンがするといいこと

          深刻病

          大したことないことも 大袈裟に喚き嘆いてしまうのは 自分は無力で 世の中は敵が多くて 解決の術がないと 不安に覆われ絶望してしまうから 自分には力があって 世界は自分に優しいと信じていれば 静かに解決してしまうのだろう 子ども時代は家族も周りも頼れず 孤独だったけれど 今は大人で無力ではないし、 助けを求めたら 誰かが手を貸してくれると思える 笑ったって深刻になったって 問題が解決するわけじゃないけれど 笑う時はちょっと上を向いていて 悩む時はちょっと下を向いている

          誰に認められなくても

          誰に認められなくても 自分が信じてればいいだけだった 父は父の価値観に合わないものには反対した 母はお金がかかるものには反対した 私は自分が好きなものはやっちゃダメなんだと 我慢する癖がついた 大人になったら自分で稼いで やりたいことをするんだと思っていた 今確かにやりたいことができる環境が揃っている それでも人に賛同されないと 私はすぐ好きなことを放棄する癖が 中々抜けきれないでいる だから言わずにやっちゃうことが多い だけど違うんだ 自分が信じていればいいんだ 私

          誰に認められなくても

          ケシの花

          頭の中のお花畑に 咲き誇っていたのは ケシの花だった 夢を叶えたい でも叶うのが怖い 現実逃避の空想 焼き放ち 更地にして 新しい種を植える 慈しんで水をやり 芽が出たら小躍りし 虫や鳥と戯れながら 花が咲くのを温かい眼差しで見守る 厳しい場所に身を置き 厳しい言葉を投げかけ 厳しい眼差しを向けていたのは 他ならぬ自分だった これまでよく頑張ってきた よく耐え抜いてきた ご苦労様 たくさん自分を責めた分 たくさん自分を褒めて労おう そして一休みしたら 現実の世界に

          正しさ

          人は正しさで動いていない。 感情で動く。 どんなに年齢を重ねた人でも、口ではかっこいいこと言っていても。 私は正しさを求めがち。 自分の正当性を主張したいという力みがある。 子供の頃母親に、理不尽な怒りをぶつけられたり 自分の主張を嘲笑われたりされた傷が まだ疼いているのかもしれない。 「私は間違ってないもん!」って言っている 自分の中のチャイルド。 ただ無条件に愛されたかった。 それだけなのにね。 周りに自分の正しさを証明したい気持ちがあると 必要以上に正しいの

          目の前に

          好ましくない現状や 出来事があっても、 応援してくれる人 力を貸してくれる人 楽しませてくれる人 個性的な人 自由な人 乗り越えてきた人たちの方を 見るのだ そしたらいつの間にか 自分がそうなっている 人は見ている方向に近づいていく… 不幸に近づくこともまた 歪んでるけど愛の形 応えてはくれない 誰かの愛を求めてる 自己愛が足りてなければ 愛を匂わす紛い物でも手放せない 切り捨てるくらいなら 不幸でいた方がマシに思える 男も女も関係ない 腐った臍の緒でも繋がっ

          枯れゆく植物と私

          部屋の中の枯れゆく植物を見た時 自分と重なって見えた。 枯れ始めてからマメに水をあげたり 声をかけ、気をかけしても だんだんと色が褪せてゆく。 残念だなぁという気持ちで見ていた。 でもそれって人が私を励ましたり 色々な体験をさせてくれたり 気持ちを明るくしてくれたりしても すぐ悲観的な状態に戻ってしまう私と 同じじゃないかと思った。 周りの人を残念な気持ちにさせていることを 植物に教えられた。 早く大丈夫になりたい。

          枯れゆく植物と私

          こころコロコロ

          今死にたくてもお天気のせいかもしれない 今消えたくても生理前でバランスが傾いてるだけかもしれない 心はコロコロ変わるものだから この先宝物が見つかって飛びあっがて喜んでるかもしれない 思いつめた時、フッと自分から離れてみる そして死にたい私も消えたい私も 心が何かを訴えている 心の声を聞いてほしがっている 常に気分がすぐれないなら信じてることを疑ってみる 常識や習慣は自分にとって意味があるものなのか 大抵無理している 自分の本質とは合わないことをしている