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〖 過去編〗一番古い記憶

なんだろう?ド田舎で育ったから、葬式の時に近所のばーちゃんが死んでて、その孫がうちの母に抱きついて泣いてたことくらい?うん。それくらい家族間の付き合いはベッタリだったと思う。鍵もかけずにチャイムも鳴らさず、グングン台所へ。そんな文化。

弟が産まれたらみーんな当たり前にそっちの方が可愛くて。しっかり者のお姉ちゃんしてたかな。たぶん。
でも夜尿症が治らなくてさ。それを母が近所の人に言うわけ「この子ほんとにおもらしばっかりして。」ピエロのわたしは笑うのよ。「うん。パンツでしちゃうのー」
夜尿症は小学校卒業するまで治らなかったよ(๑>؂•̀๑)テヘペロ
この頃から立派なピエロが完成。怒ってる雰囲気にはおちゃらけで対応!

葬式からしばらく経って親の転勤で関東に行かなくちゃならなくなってさ。でも子供心にワクワクするのさ。新しい地って。
今思えば手続きとか大変だったんだろうな。浮かれてる子どもですまなんだ。

新しい土地は転勤族も多いせいか馴染んだ。引っ込み思案で人見知りでもそこそこに友達はできたし、学校は楽しかった。

でもね、この頃からだよね。父がギャンブルに浮気にゴルフにってお金を使い込み始めて。夜中は夫婦喧嘩。外でも喧嘩して帰ってくる父。
母は幼子2人連れて買い物行って家事して。聞けば生活費月に3万しかなかったとか。絶望だよね。

私、この頃頭は良かったの。学校の勉強ができるって意味での。だから私立の中学進められてたし、母も満更じゃなかった。やればできる子という認識が植え付けられた瞬間でもあったのかな。

この辺りでチラホラと学校に行きたくない日が出てきた。私は軟便で昼休みにわざと理科室の前のトイレまで走っていってたこととか、両隣りの男の子に「デブ」「ゴリラ」ってからかわれていたこととか少しづつストレスを溜めていた。当時の私にはそれにいちいち傷つくしか術がなかった。

この男子たちは担任の教師から吊るし上げられ、弾劾裁判のようなものをうけたらしい。私が休んでいて、預かり知らぬところで。
私に現状の確認もせず話し合いもなく。教師が、あの子たちだと言った児童の意見を丸呑みして行われたそうだ。
怖い。わたしは両隣りの男の子にそこまでの罰を与えることは望んでなかった。そしてもちろん友達には戻れなくなった。

学校って怖い。

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